東国随一の猛将として名高い「本多忠勝」。

徳川四天王の一人です。

 

家康が天下を取れたのも忠勝のおかげ。

何度もピンチを救ってもらっていますから、、、

 

 

東国随一の猛将

 

本多忠勝はその当時、東国で随一の猛将と言われていました。

(西国は立花宗茂)

 

生涯で57回の戦に参戦し、一度も傷を負わなかったと言うくらいです。

(触れないんじゃ、倒せるわけ無いですよね)

 

忠勝は動作が素早しっこくて、狙っても当たらない。

そして、槍捌きも的確なので僅かな甲冑の隙間を見事に突いてくる。

 

スピードとテクニックで敵を秒殺していきます。

力任せに戦闘するタイプじゃなさそうですね。

テクニシャンな武将

 

実は「東国随一」の猛将って忠勝だけじゃなくて、先代の「随一」をやっていた武将がいました。

それは武田家の山県昌景(まさかげ)です。

 

山県昌景と忠勝は、実際に対戦したこともあり昌景は忠勝の実力を十分認めています。

 

でも、戦そのものは武田が勝利していましたので、当時の「随一」は昌景のものでした。

 

そんな昌景でしたが、長篠の合戦では射ち死してしまいます。

そして、次の「東国随一」が忠勝に巡ってきたワケです。

 

ちなみに、山県昌景は「最強」のわりには身長が低い。

(小学校3年生くらいの身長)

 

昌景が戦場に現れると、敵陣では「うわっ!武田のちっちゃいヤツがキター!」

と恐れられていたようです。

 

戦が強いって聞くと、なんとなくプロレスラーみたいな武将かな?

なんてイメージしがちですが、必ずしもそうじゃないんですね。

 

本多忠勝も当時の平均的な体格でしたから。

160cmぐらい?)

 

もちろん巨漢の武将もいましたよ。

真柄直隆なんか身長2メートル、体重200キロもあったそうです。

朝倉家の激強武将でした。

忠勝とも対戦しています。

 

ただ、これくらのトップファイターになると本当はどっちが強いのかって決めかねますね。

他にもいろいろ強い武将っていますけど、みんな強すぎて計測不能です。

 

しかし、その中でも「随一」の呼び声が高いのが本多忠勝だったのでした。

きっと、人間的にも人気もあったんでしょうね。

 

 

家康のピンチを救った、何度も…

 

徳川家康は最後には、天下をとって将軍の座につきますがそれまではピンチの連続でした。

 

でも、本多忠勝のおかげで何度も命を救われています。

だから忠勝は家康の命の恩人なんです。

 

今回は忠勝の恩人エピソードを二つだけ紹介します。

 

その① 一言坂の戦い

1572年、武田軍のが徳川の領域に攻め込んできたので

家康も対抗して浜松城から迎え討とうと出撃します。

 

ところが、思わぬ所で武田軍とかち合ってしまった。

そこは静岡県の一言坂(ひとことざか)。

 

家康は戦の準備が不十分だったので、そそくさと逃げようとします。

だけど、「そうはいくか」と武田軍が追いかけてきます。

 

しかもその武田軍を率いていたのは、内藤昌豊とあの山県昌景

 

これ、絶対にヤバいです。

家康の首が取られてもおかしくない状況。

 

しかし、ここで忠勝捨て身とも言える覚悟で

武田軍の追撃を阻止します。

 

おかげで家康の率いる本隊は、無事に浜松城帰る事が出来ました。

 

この時、忠勝の反撃があまりにも凄まじかったので武田軍が道を空けたと言われています。

 

(その後の三方ケ原の戦いでは、武田軍にボコボコにされてますが…)

※家康は信玄にちゃんと勝った事がありません。

 

その② 本能寺の変

皆さんご存知の、本能寺の変。

1582年ですね。

中学校で習いました。

 

明智光秀が本能寺で織田信長を討ってくれたおかげで近畿の周辺は大パニックに陥ります。

そして、光秀に内応してない武将はみんな敵とみなされ家康もその標的となります。

 

この時、家康は何してたっけなぁ?

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大坂で観光?

(間違ってたらスミマセン…)

 

ともかく、早く三河に帰らないと殺される…。

 

で、伊賀の山を越えてさっさと家に帰りたいんですが…次々と野武士盗賊が襲ってくる。

 

戦で鍛えた武将だって、野武士とか地元の盗賊って結構怖いんです。

忠勝にしたらアウェーで戦っているので、かなりやり辛い。

落ち武者狩りの軍団なんかも出て来るし。。。

ヤバいヤバい。

 

 

しかも、忠勝は太って動きの遅い家康おんぶして歩いたりしました。

そして、敵が襲ってくる度に槍技でブッとばしながら進む。

 

たぶん、忠勝がいなかったら家康は死んでましたよ。

家康も一応は武芸者なんですが、忍者修行とかゲリラ戦の修練まではしてないでしょう。

 

でもそこをどうにかして、家康を助けながら三河まで送り届けました。

忠勝さん、ご苦労様でした。

 

 

関ヶ原では補欠出場

 

関ヶ原の合戦、1600年です。

この頃になると、さすがの忠勝も御年52歳

 

現役の武闘派武将としては、ピークを過ぎたお年頃。

普通だったら、腰痛や五十肩に悩まされてもおかしくないですよね?

そして、世紀の一戦「関ヶ原の戦い」が始まりました。

 

忠勝本人はヤル気満々なんですが…最前列に配置してくれない ( ;∀;)。

 

もちろん、後方にあっても重要なお仕事は任されているんですが、本当は先頭に立ってガンガンやりたいんです。

そこで、若干イライラしながら配置に就いていると、井伊直政が先頭に出ようとしている。

 

そして、忠勝直政を呼び止め「お~い、直政ぁ、ちょっと配置が違うんじゃないか」

と声をかけます。

 

すると、直政は「家康さんに言われて前列に行くことになったんです」

と答えたら、忠勝の怒りがドカーンと大爆発します。

「そんな事聞いてないぞっ!!それに何でオレがこんな後ろの方にいなきゃいけないんだ!」

 

「いや、そんな、、べつに忠勝さんをハブんちょにしたんじゃ無いんです、急に決まったんですよ、、家康さんの指令なんです…分かってください…」

焦る直政。

 

忠勝にしてみれば自分は控えに廻されて、しかも軍議もかやの外

こんな大事な大一番に先発で出れないなんて、悔しい!

 

忠勝の怒りはもっともです。

でも、いつまでも若くはないんですよ、52才ですから。

(戦えばまだまだ強いとは思いますが、年相応のお役目もあるんです)

 

この件であわや、四天王同士の対決になりそうだったのですが、直政が必死になって説明して、なんとか忠勝の怒りを収めてもらいました。

 

忠勝は関ヶ原の戦いでは控え選手でした。

でも、戦の前からちゃんと別の活躍はしているんです。

 

他の大名との折衝や、西軍系大名への内応策など。

 

槍をブンブン振り回す様な仕事じゃ無いんですけど、やっぱ、本多忠勝を目の前にするとみんなビビるんです。

おかげで話し合いのペースもつかみ易い。

 

これはこれで、大仕事なんです。

 

「でも、オレの本業は戦場でファイトする事なんだよなぁ」

ま、これが忠勝の本音ですよね。

 

そして、関ヶ原の合戦が始まると…東軍は西軍を圧し…敗走させます。

 

ところが、東軍の群れの中にぽつーんと島津の小軍が取り残されている。

で、その島津軍はそこから抜け出そうとして

こちらに突進して来きます!

 

「よっしゃ!せめてここは、奴らを叩きつぶしてまだまだ戦えるところを見せてやろうじゃないか!」

 

と思った忠勝なんですが…島津の勢いに押されて、、、落馬!  

ああ、、取り逃がしてしまったよ。 Σ(゚д゚lll)ガーン。

 

最強戦士だって生身の人間です。

体力ぐらい落ちますって。

 

でも、もういいじゃないですか。

何十年も「東国随一」でやって来たんだから。。

 

 

 

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