キリシタン武将の最高峰、高山右近。

バテレン追放令がなければ幸せになれたのに…

オヤジと別れても信者を守るんだ

 

キリシタン高山右近

戦国時代にもキリスト教を信じてる武将って結構いました。

それでキリシタン武将の中で、一番信仰心が篤かったのが高山右近

 

今の日本人の感覚では「信仰」って言った瞬間ドン引きを食らいそうですがそれは、宗教に対するイメージが捻じ曲げられているから。

 

右近クラスの信者になると、そんな事ないですよ。

それどころか頭が良くて、優しくて、カッコいいのでみんなホレボレしちゃう。

右近の縄張りである摂津高槻(大阪府)では、多くの領民たちがキリスト教に改宗しています。

(べつに、キリスト教をオススメしているワケじゃないです。右近の事を書いてるだけですから。)

 

肉親をとるか、信仰をとるか

高山右近の家ではオヤジさんの代からキリシタン武将をやっています。

 

高山家は自分の城を持ってるくらいのお家柄なんですが

戦国時代の流れの中で、織田信長勢力の武将荒木村重の傘下に入ります。

 

しかし、途中で荒木村重が信長を裏切ってしまった。

そして、荒木村重は織田の関係者を人質に取って右近に挙兵するように言います。

 

ところが、今度は信長が領内のキリシタン信者を人質にして応戦してきます。

人質合戦です。

 

非常に悩ましい高山右近。

 

荒木村重に付けば自分の家族が犠牲になる。

信長に付けばキリシタンが皆殺しにされる。

それで、さらに右近のオヤジさんは信長に徹底抗戦すると来てる。

(オヤジもキリシタンなんですが…)

 

家族と領民のどちらを選ぶか?

うわー、どうしよう ( ;∀;) 悩むー。

 

で、結局右近は領民のキリシタンを守る選択をして、織田方に従いました。

重い決断です。

 

領主というものは、領民の親も同然。

右近としては、領民たちを見殺しにする事は出来ない。

 

自分の家族だって、もちろん大事ですよ。

だから、きっと引き裂かれるような思いだったでしょうね…。

 

右近親子は多くの領民に親しまれ、その影響でキリシタンに改宗する領民は後を絶ちませんでした。

貧乏なキリシタンの家でも、葬式の時には右近親子が司祭を務め一緒になって棺桶を担いだり、墓穴を掘ったと言います。

そのくらい、フレンドリーなキリシタンでした。

 

(ちなみに、右近は領民に信仰を強要するような事はしていません

 

 

キリシタン禁令

 

本能寺の変で信長が死ぬと、今度は秀吉に仕えます。

 

そして、山崎の合戦や亀山城の戦いで武功を挙げ明石に6万石の所領を貰い大名になりました。

右近は、キリシタン大名のリーダーとして活躍し

黒田官兵衛蒲生氏郷をはじめとする大勢の武将をキリスト教に導きます。

 

しかし…1587年、秀吉が「バテレン追放令」を発令します。

※バテレンとは外国人宣教師の事。

一口にバテレンと言っても、真面目なバテレンもいればロクでもないヤツもいます。

そんな、ロクでもないバテレンを追い出すための「バテレン追放令」。

 

バテレン追放令を出されたおかげで、キリシタン大名の肩身も狭くなる…

バテレンを追放しても、大名がキリシタンやってたらスッキリしませんからね。

(一般の人が信仰するのはOK)

 

そこで秀吉は、右近にキリシタンを辞めるようにプレッシャーをかけます。

しかし、右近は絶対に、絶対に折れません

(殺される可能性も十分ありました)

 

結果、右近の所領は全て没収され追放の処分を食らいます。

 

その後、右近はキリシタン仲間の小西行長の手引きにより小豆島でひっそりと暮らしていました。

 

するとそこへ、前田利家が声を掛けてきました。

右近さん、ウチ来てくれないかなぁ。3万石で

 

右近は建築や土木の達人で、また茶道も極めた武将。(人柄もいいし…)

島に流しておくには、余りにも勿体ない人材だったのです。

 

右近は答えました。

キリシタンの教会を作ってくれるなら行きますよ。お給料は少なくてもいいんですが…

 

こうして、右近は前田利家に拾われ武将としてカムバックしました。

(後に関ヶ原の戦いにも参加していますね) 

 

 

キリスト教禁止令 → マニラに追放

 

秀吉が死んで、次は家康の時代がやって来ます。

 

家康は最初キリシタンには優しかったんですが、諸事情により「キリスト教禁教令」を発令します。

こいつは、バテレン追放令なんてもんじゃない。

キリスト教は一切禁止です。

容赦ナシ。

 

全国のキリシタンは、思いっきり迫害を食らってえらい目に遭います。

もちろん、高山右近にも矛先が向かいました。

 

キリシタンはもう日本ではやっていけない。。。

 

普通のキリシタンだったら

大人しくしていれば、まぁ何とかやり過ごせたかも知れないけど…右近みたいな大人物はそうはいきません。

 

生きてるだけで、周りの人を感化しちゃうんで危険なんです。

それに絶対に改宗しないだろうし。

 

だからとても、日本に置いて置けない。

島流しぐらいじゃ生ぬるい。

永久に追放しないとダメ。

また、復活するといけないから。

 

そこで、下された処分は国外追放。

行先はフィリピンのマニラ

 

 

そして、1カ月の辛い船旅の末マニラに到着。

(この時代の船旅ってすごく辛い。体調崩すと普通に死にます)

 

で、マニラについた右近はむちゃくちゃ大歓迎を受けます。

「日本からキリシタンのヒーローが来たぞ!!」って。

 

右近に関する情報は、バテレン達から入っていたようです。

日本にはどえらいキリシタン侍がいるぞ、って。

 

しかし、、、その40日後、右近は天国に召されてしまいました。

 

マニラで熱病に罹ってしまったのです。

(この時代には予防接種なんか無いですからね)

 

辛い船旅の過労、そして高齢。

右近が慣れない海外に移り住むには、ちょっと遅かったかも知れません…。

 

葬儀はマニラ全土を挙げて盛大に行われ、キリシタンたちは高山右近との別れを惜しみました。

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