豊臣秀頼の絶大なる信頼を得ていた木村重成。

それは、単に二人の付き合いが長いからではなく、重成の人間性を信じているからこそ。

っていうか、重成みたいな若武者だったら誰だってホレボレしちゃいますよ。

颯爽とした立ち居振る舞い、礼儀正しく、勇敢で、イケメンなので。

 

遅れて来た戦国武将

木村重成豊臣秀頼はガキの頃からの友達。

年は一緒で(1593年生)重成のお母さんは、秀頼の乳母。

 

だから、ほとんど兄弟みたいな感覚。

一応主従関係ではありますが、小さい頃は無邪気に一緒に遊んでいた事でしょう。

そして、元服すると豊臣の重要家臣として名を連ねます。

 

重次は、王子様みたいなビジュアルで普段は物静かな男子。

だから、城中では「あいつ弱そう」と言ってナメてかかる連中がいました。

 

そんなある日、無礼な茶坊主が重成の烏帽子を扇ではたきます。

重成の事を、小ばかにしたんですね。

 

そこで、重成は言いました。

「武家の作法に従うと、私はあなたの事を斬らないといけないんですが…

今日はそういう事はしません。

殿中で刀を抜くと、自分の命まで危うくなります。

それでは、本当の一大事の時に役に立てませんからね」

 

これを見た周囲の武将達は「やっぱり、重成はヘナチョコだな…ダサいやつ」

とあざ笑います。(ムカつく連中ですね)

 

重成は、そのくらいジェントルな武将でした。

 

しかしまぁ、無理もありません。

穏やかな殿中は、重成の強さを発揮する場所ではありませんから。

 

 

大坂冬の陣

デビュー戦で大健闘

重成は戦国時代の末期に生まれて来たので、本格的な戦に出たことがありません。

しかし、大阪冬の陣(1614年)を迎えいきなり戦デビューを果たします。

 

当時、豊臣軍は大変な人手不足。

そこで、重成みたいなルーキー武将も一軍を率いて参戦しました。

 

しかも、冬の陣の最大の激戦区に投入され、上杉・佐竹連合軍との対決!

(いきなり強敵相手にして大丈夫かなぁ?)

 

ところが戦が始まると…強いのなんのって。

重成をナメてかかった連中は、痛い目に遭います。

重成の武勇は、一躍豊臣・徳川の両軍に響き渡りました。

 

重成は後藤又兵衛を崇拝していた位なので、戦の研究は良くしていたんでしょうね。

 

しかし、重成の真骨頂は戦の強さではありません。

ここからが、本番です。

 

颯爽たる和議の使者

大坂冬の陣は開戦後、互いに数度の交渉を経たのち和議を結ぶに至ります。

そして、和睦調印の使者として現れたのが木村重成でした。

 

家康の本陣にやって来る重成。

 

普通はメッチャ怖いはずですよ。

マフィアのアジトに乗り込むようなものですから。

そこでは、鬼とか虎みたいなヤツがとぐろを巻いて待ち構えているワケです。

 

しかし、重成は1ミリ足りともビビる素振りも見せません。

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そして、御大将徳川家康にこう切り出しました。

「恐れいりますが、和睦書の血判が不鮮明なので、もう一度押しなおして下さい」と。

 

なんと、家康の書状に文句を言って来たのです。

 

これって、ビクビクしながら言ようもんなら「なんだコノヤロー!もう一度言ってみろ」

なんですが…家康はクレームに素直に応えました。

 

家康は、あまりにも毅然とした若武者の振る舞いに感心してしまったのです。

「コイツ、度胸あるなぁ」と。

 

そして、調印が済むと先ほどの無礼を詫び、諸侯たちにも頭を下げ帰って行きます。

つま先から頭のてっぺんまで、純度300%の若武将に徳川陣営も感銘を受けました。    

 

 

覚悟を決めた夏の陣

妻との分かれ

大坂冬の陣で、一度は和睦を結んだ徳川と豊臣。

しかし、すぐに関係がこじれて夏に陣へと発展します。

(徳川が、豊臣に国替えと浪人衆の放逐を要求して来たので)

 

重成は、もちろん豊臣勢として参戦します。

 

ところで、重成は戦を前にして食事を控えるようになりました。

これを心配した奥さんが、その理由を尋ねると…

「未消化の食べ物が胃腸に残っていると、斬られた時に残飯が流れ出して見苦しいのさ」

との事。

 

つまりは、既に死ぬ覚悟を決めていると言う事なんです。

 

そして奥さんは…

「それじゃ私、先に天国に行ってるわ。女房一人残しとくのも心配でしょ?」

と自害して、重成をあの世で待つことにします。

 

新婚5カ月の初々しい新妻。

まだ18才です。

愛し合って結婚して、これから幸せを築こうって時に…あまりにも不憫です。

(ウチのかーちゃんだったら僕に生保をかけます)

 

最期の重成

大阪城は徳川の作戦によって、堀を埋め立てられもはや裸同然。

 

籠城戦で対抗出来ない状況に追い込まれ、否応なく野戦で戦うしかない。

数に劣る豊臣軍の劣勢は、火を見るよりも明らか。

 

重成は若江方面にて参戦し、井伊直孝、藤堂高虎の部隊と衝突。

重成の軍は正面から突撃し、敵軍の先鋒を撃破しますが…

徳川の大軍の波に飲まれ、重成は壮絶な討ち死を遂げます。

 

それは、大阪城が落城する前日の事でした。

 

まだ、23歳の若さです。

勿体ないじゃないですか…。

 

戦の後の首実験で、家康は重成の首を見つけます。

「ああ、重成お前もか…私の家臣として欲しい位だったよ、モッタイナイ!」

 

そして、家康が重成の首に近づくと、かすかに香のかおりがするではないか!

(普通はとんでもない臭いがします)

 

死して、尚も美しい武将の生き様。

潔く戦い、散りゆく姿まで武士の美学を貫いた。

 

「うわー、なんてカッコいい武将なんだ!これこそ勇者のたしなみ。みんな見習えよっ!」

家康は重成の首に刮目するよう、家臣達に伝えます。

 

戦は徳川は勝利しましたが、ここまで伊達な武将は一人もいなかったでしょう。

 

 

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