惣無事令とは豊臣秀吉が発令した、戦を禁止する法律。

それは、各大名はもちろん、武士や一般市民を含め「勝手に戦しちゃダメよ…」ってこと。

 

秀吉豊臣関白8

 

とは言うものの「はい分かりました!」って素直に従うほど、戦国大名は大人しくない。

特に島津北条は断固反対!?

 

そう簡単に、みんなが言う事を聞いてくれたワケじゃ無さそうです…。

 

今回は、惣無事令の概要や実情について、まとめてみました。

サクッと読んで楽しんで下さい。

惣無事令とは?

「無事」とは「有事」の反対を意味する言葉。

 

戦国時代は有事の連続です。

大名同士の、民衆や武士の一揆行動、家督争いの内乱、村同士のケンカとか年がら年中やってました。

 

33山城国一揆

 

それでこの有事を取り締まり、無事をもたらすのが惣無事令だと言うわけです。

平和のための法令。

 

有事である戦や争いを停戦させ、和睦を結ぶ事を呼びかけます。

大変、結構な事じゃないですか。

 

でもその当時、戦国時代はまだ終わり切っていないので、これに納得しない人もいます。

 

「あとちょっとで、領土が広げられるのに~」

「勝手にゲームオバーさせないでくれよ~」

「勝ち逃げするのかよ、ずるいぞ」

 

なんて感じで反発するのです。

 

それに惣無事令を受け入れるって事は、秀吉に従うっていう意味でもあるんですね。

 

だから「なんで、オレが秀吉の都合に合わせなきゃいけないんだよ!」と

地元でプライドを保ってきた大名には、ちょっとイヤな感じがするんです。

 

(ただその逆に、惣無事令を歓迎する人もいます。

今にも隣国から喰われそうな大名などは、命拾いするわけですから)

 

九州征伐

1585年に秀吉は惣無事令を発令し、九州における島津、大友、毛利の三氏に停戦を呼びかけます。

「皆さん、勝手に戦をしちゃいけませんよ」って。

 

そして戦いはやめて、戦の裁きは秀吉に任せろって言うんです。

 

毛利は九州の事など知ったこっちゃないから、賛成。

大友は島津に喰われる寸前だったのでもちろん、賛成。

 

だけど、島津大反対

 

狙った獲物を仕留める寸前に「そりゃ無いだろう」と言いたい。

筑前(福岡県)のあと少しを占領すれば、九州完全平定なんですから。

 

しかも、島津が秀吉に迷惑かけた覚えもなし…。

「いきなり横から割り込んで、勝手なこと言うんじゃねーよ」

 

島津義久はこれを無視します。

 

すろと、これに対し秀吉は「島津は法令違反だ」とみなして征伐軍を送り込んで来ました。

九州に20万の征伐軍が乗り込んで来る!

 

さすがの島津もケタ違いの兵力に圧倒され、仕方なく降伏します。

「なんだよ~コイツ、力にまかせてちゃぶ台ひっくり返しやがって~」

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11島津義久
島津義久

 

きっと、島津としては納得できなかった事でしょう。

他人様の戦に首を突っ込んで、獲物を横取りしてるわけですから。

 

「惣無事令」なんて言っておきながら、自分じゃ大軍を率いて人の土地をかっぱらっていく。

全然、無事じゃないよ…。

(おかげで大友氏は一命を取り留めましたが…)

 

小田原攻め

秀吉は日本の西半分を平定した後、関東・東北にも惣無事令を発令します。

(惣無事令って言うか、北条をぶっ潰しに来たんですね)

それは1587年の事でした。

 

関東では北条と真田が上野国(群馬県)沼田で領土問題で争っていました。

そこへ秀吉がやって来て「おまえら何やってんだ~、惣無事令だぞー」と割り込んでくる。

 

北条氏直は「俺たちは関東の戦いをやってんだよ、あんたはカンケー無いでしょ」と突っぱねる。

 

11北条氏直

 

そして、秀吉と全面対決。     

いや、なぜか全面対決…。

 

仲裁に入るなら分かるけど、そっちに行かないで大戦争に向かうのです。

要するに、北条潰しって事なんですね。

 

秀吉は21万の兵力を動員して、小田原城をぐるりと取り囲みました。

 

小田原城は難攻不落の手強い城。

上杉謙信や武田信玄の攻撃にも耐え抜いた名城ですが…21万の兵力までは想定外です。

 

それで結局は、包囲を開始してから3カ月で落城し、北条氏政、氏直親子は降伏します。

(氏政→自害、氏直→高野山へ追放)

 

こうして、北条早雲から5代に渡って続いた北条家は滅亡!しました。

 

北条早雲11
北条早雲

 

何たる事よ…ここまで叩き潰されるとは、おそロシア。

ぺんぺん草までむしり取っていきやがって…。

ああ、恐怖の惣無事令。

 

その他の惣無事令

惣無事令は、朝廷の権威豊臣の巨大な戦力を振りかざして全国の大名を抑えつけた法令。

これは鎌倉時代以来から続いた、自己救済の権限を否定した方策です。

 

中世の時代は、自分の身は自分で守ると言う風習がありました。

 

だから、大名から一般市民に至るまでかなり戦闘意識が高い。

そんな人たちが、全国津々浦々まで根を張っていたら、またいつ戦が起こるか分からない。

 

惣無事令は、そういった古い時代のと別れを告げる法令でもありました。

また「戦うな」と言ってる以上、町の隅々まで目を光らせるなきゃなきゃいけません。

 

そこで、惣無事令は大名の大きな戦だけでなく、市民の「喧嘩禁止令」、漁民の「海賊禁止令」等にも及びます。

 

倭寇 勘合貿易11

 

(「禁止だ」と言っても、こちらもすぐに鳴り止むものではありませんが…刀狩をやっても、みんな刀の一本ぐらいは隠し持っていましたし。)

 

本音は豊臣のための惣無事令なんですが、時代のタイミング的にも平和の始まりをつげる法令でもありました。

 

 

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