永享に続く室町幕府の元号「嘉吉」。

1441年~1444年の頃を指します。

永享の時代は将軍義教が締め付けが強くて幕府はまとまっていた…。

しかし「嘉吉」に入るとタガが外れて一気に収集がつかなくなります。

それは、ついに「嘉吉の徳政一揆」いう形で爆発しました。

嘉吉の乱(1441年)

(※嘉吉の乱とは将軍足利義教が赤松満祐に暗殺された事件のことです)

 

6代目の室町幕府の将軍に就任した足利義教(よしのり)。

義教は落ち目だった幕府の権威を復活させようと全力で政務にあたります。

 

頭が良くて、根性があって、カリスマ性もある。

一見、文句の付けようのない優れた将軍なんですが…その反面、強引で、怖くて、人の気持ちや命を平気で踏みにじる。

そこで、ついたあだ名が「万人恐怖」。

 

行政手腕は最高なんですが、家臣や大名達の心は離れて行き「こんな将軍もうヤダ!」と、みんなに嫌われてしまいます。

 

そして、ついに運命の日がやって来ました。

 

関東の結城合戦に勝利して、幕府の支配力を一段と高めた義教。

そこで、有力大名である赤松氏が「おめでたいので、ウチで戦の祝勝会をやりましょう」

と自宅に招き入れます。

 

そして、宴たけなわの最中に外から「ドカンドカン」という大きなもの音がしました。

(屋敷を包囲するもの音…)

義教は「一体、何事だ!」叫びます。

 

すると、部屋の戸がいきなり開いて赤松氏の武将が飛び込んで来て、息もつかせず義教に思いっきり刀を打ち込みました。

 

天下無敵の将軍義教でしたが、この時ばかりは返す術がありません。

享年47歳。

突然の幕切れでした。

 

 

嘉吉の徳政一揆(1441年)

将軍が暗殺されたと言うウワサは、すぐさま京都周辺の領民に広がります。

そして、町や村の人々が何やら急に騒ぎ出したのです。

 

それは、瞬く間に「借金を帳消しにしろ」という大合唱になりました。

 

現代人の感覚では理解し難いのですが、当時の人々の間では将軍が変わると言う事は全てが帳消しになる、という考えがありました。

だから、借金もチャラにしろ…という理屈なのです。

(分かったような、ワカンナイような・・)

 

もちろん貸した方は納得するワケないです。

しかし、借金に苦しむ人々も勢いに乗ればみんなで一揆を起こします。

グループを結成して酒屋とか、寺院とか、土倉(サラ金)などを襲撃する…。

 

それは不法な暴動行為ですから、やがて幕府や大名の軍隊が鎮圧にやって来るんです。

 

ところが、嘉吉の徳政一揆では鎮圧隊の動きが遅い。

と言うのは、ついこの間まで幕府や大名の主導権は足利義教が協力に握っていたので、将軍がいきなり不在になると代わりに組織を動かせる人がいなかったからです。

幕府や大名に対応が遅いと一揆グループは鎮圧隊の進路をふさいだり、計画的に襲撃作戦を繰り広げたりして、暴動の波紋はどんどん広がって行きました。

 

これが、嘉吉の徳政一揆の特徴です。

強すぎるタガが外れた反動で、一気に収集のつかない事態に陥ってしまった。

 

たまらず、幕府は一揆衆の要求を飲み徳政令を発令したのでした。

ホントは、政治を預かる者が徳政令なんか出しちゃダメなんです。

人民にナメられるし、反社会な行動を認めた事になるし、金を貸した人からも信用されなくなる。

 

室町幕府は将軍の空席を早く埋める為、次期将軍に足利義勝(9歳)を立てます。

いないよりマシなんですが…。

能力が足りない分は大名や朝廷がサポートしますが、その分足利家の権威も落ちて行くわけですね。

 

室町時代が半分ぐらい経過したところで、足利家の凋落する足音が聞こえてきました。

それが「嘉吉」という時代です。

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