【文禄の役とは】出兵から撤退までを簡単に説明!出兵した意味は?

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今回は「文禄の役」について、サクッと説明します。

文禄の役とは、豊臣秀吉の悪名高き「朝鮮出兵」の第一弾。

 

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秀吉は日本を平定した後、明国の征服を目指すんですが…

その道すがら、朝鮮半島で大乱闘を巻き起こします。

それが文禄の役。

 

今回は、なぜ朝鮮に出兵したのか?誰が、どんな事をしたのか?そして、どうなったのか?

ストーリーを追いながら、文禄の役を振り返ってみましょう。

 

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文禄の役とは?

豊臣秀吉は日本全国を平定すると、次なるターゲットを中国の明国に定めます。

目標はあくまでも、明国。

 

ところが、明国へたどり着くには、朝鮮半島を通って行かねばなりません。

そこで秀吉は、朝鮮に日本への従属をさせようとします。

 

文禄の役3

 

でも朝鮮としては、そんなのイヤですから当然、秀吉の事など無視です。

 

「何でそんなヤツのために、俺たちがヘーコラしなきゃいけないんだ?」って。

彼等としても、せいぜい「日本平定オメデトウ」の挨拶をする程度。

 

しかし、これに腹を立てた秀吉は「朝鮮は日本に敵対する気だ」として、朝鮮へ出兵します。

それが、1592年(文禄元年)に始まった文禄の役。

 

無茶苦茶ですね。

 

とんでもない言いがかりです。

昔から戦っているならともかく…いきなりやって来て、それは無いですよ。

 

しかし、秀吉の命令は当時、絶対的なものだったので…

15万人もの日本の兵が、朝鮮半島へなだれ込む事になります。

 

 

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文禄の役・あらすじ

朝鮮出兵命令

豊臣秀吉は、1590年に日本を統一しました。

 

しかし内心では…日本はもとより朝鮮、いやその先の明国(中国)までも、征服してやろうと目論んでいました。

これは、秀吉の頭が欲望でバカになったからじゃなくて、以前から大陸に進出するプランはあったのです。

 

秀吉は、日本で九州征伐をやっている時期には、朝鮮へ調査団を送ったり、朝鮮の外交係の人を日本に呼びつけたりしていました。

 

そして、国内を統一すると…いよいよ大陸進出が本格化していきます。

 

朝鮮に対しては「天下統一の祝いのお祝いの挨拶をしろ」とか

「明国に行くから、朝鮮を通らせろ」とか

「戦の時は協力をしなさい」とか

「朝鮮国王はオレに会いに来い」とか、図々しい注文を突きつけました。

(そんなもん知るか、っての…)

 

でも、そんなこと言われて「はい、そうですね」って、従うなんかヤツいませんよね。

 

朝鮮としては、秀吉なんぞに頭を下げる筋合いは無いので、当然無視します。

無視っていうか、相手にしない。

 

すると秀吉は「あいつら、朝鮮も明も失礼だ。オレにケンカ売ってんのか?許さん!」

と、逆ギレ的に朝鮮や明を目の敵にします。(半分、ワザとやっていますが…)

 

そして、1591年

朝鮮出兵命令が下されます。

 

目指すは、明国の征服

朝鮮半島はその通り道なので、さくっと制圧するつもりでした…

 

文禄の役2

 

朝鮮半島への上陸

出兵命令が出された、その翌年1592年

ついに、朝鮮への上陸作戦が開始されます。

 

陸に上がっちゃえば、日本の武将は強いです。

戦国時代で、ギンギンに鍛えられていますので。

 

当時、世界各地を侵略していたスペインやポルトガルでさえ「日本人、メッチャ強っ!」

って、言ってたぐらい。

 

日本軍は朝鮮に乗り込んでから、たった2カ月間で次々と城を落とし…朝鮮の国王や重臣たちも逃げ出して行きました。

あまりに日本の進軍が早いので、明国は朝鮮が裏切ったのか?と疑うほど。

 

朝鮮を蹴散らすと、今度は明国の軍隊が現れました。

雨に紛れて、日本軍に夜襲を仕掛けて来たのです。

 

これには日本側もビビりましたが、鉄砲をガンガン打ち込んでやると、明軍は総崩れして退散していきます。

 

明も朝鮮も、日本軍に惨敗した知らせを聞いた明国の宮廷は「こりゃ、マジやばい」

と気づいて、小西行長に和平交渉を持ち掛けてきました。

「話し合いに応じますから、攻撃しないでください」みたいな感じ?

 

文禄の役小西行長

小西行長

 

明国の総攻撃

明国が交渉に乗り出してきて「そろそろ停戦かな?」

ってムードが漂い、戦が少し落ち着き始めました。

 

そして、これと同時に日本軍にも、だんだんと疲れが溜まってきます。

 

と言うのは、日本の水軍は船がショボくて、ちゃんとした指揮官もいない。

だから、海上では朝鮮の水軍にコテンパンにされていたんです。

つまり、補給路がうまく確保できないので、食料が十分に運ばれて来ない

 

また、冬支度の装備も満足に送れない。(朝鮮の冬は激寒です)

さらに、伝染病が蔓延して死者続出。

 

腹ペコ+寒い+病気

これじゃ、戦なんかやる気になれません。

 

そして「そろそろ停戦か?」という流れ。

こうなりゃ日本軍だって、自然にダラ~っと油断しちゃいます。

 

そんなタイミングで、明軍の武将「季如松(りじょしょう)」が現れます。

※季如松→明の総大将

 

季如松は大軍を率いて、日本軍の油断を突く様に、平壌城に総攻撃をかけて来たのです。

もの凄い大軍!

日本軍の3倍ぐらいの軍勢です。

 

今まで優勢を保ってきた日本軍でしたが、これにはたまらず…逃げるしかない。

日本の武将たちは、凍り付いた大同江(だいどうこう)という川を渡って、ダッシュで退散!

 

 

日本へ撤退

平壌城での敗退後、日本軍は作戦を仕切り直し、次第に盛り返して行きました。

 

ところが…かねてからの食糧不足は解消されず、けが人+病人の増加。

みんな、だんだんとやる気を失ってしまいます。

「こんなんじゃ、戦なんか出来ないよ…」

 

そして、参加大名全員が署名した手紙を、秀吉に送ります。

(この時ばかりは、全員一致なんですね…三成も、清正も)

 

前田慶次実在伝説最強?88

 

「みんな腹が減って死にそうです。

明国も講和には応じる様子ですし、小西行長が明国の職員を連れて帰る予定ですから…

早く、日本に帰してください、秀吉様(ToT)/~~~」

 

かくして、日本軍は朝鮮上陸の1年後に、撤退する事となりました。

 

 

文禄の役・その後

朝鮮から撤退した後、明国と日本は和平交渉に入ります。

 

和平交渉って言うと、平和な感じがしますが…要は戦のオトシマエをつけるための交渉。

戦の延長戦みたいなものですね。

 

明国は、秀吉に「降伏状を提出しろ」と要求します。

つまり「私の負けです、勘弁してください」と正式に紙に書くように迫りました。

(でも、秀吉は負けたと思っていません)

 

日本からは、主に

  1. 朝鮮の南半分をよこせ
  2. 明国の皇女を差し出せ
  3. 日明貿易を再開せよ

てな感じの要求。

(明国も、日本に負けたつもりは無いのですが…)

 

でもこれって、まともに双方へ伝えたら、絶対にケンカになりますよね?

 

きっと、仲介者まで巻き添えを食らいます。

だから、日本と明国の使者は、本当の事を伝えられないんです。

 

敵国の要求を、そんまんま本国に持ち帰って来ようもんなら…

「あん?こんな事言われて、おめおめと引き下がって来るバカいるか?お前クビ!」

と、言われるに決まってる。

 

これは、自国の要求を敵国に伝える使者も同じ。

いや、それ以上に怖いかも…その場でバサーって、事もある。

 

よって、和平交渉の係員は、その場しのぎでウソの報告をします。

 

そして後日、正式な講和を伝える使者が、日本を訪れました。

秀吉は、明国が日本の要求に従ったと思い上がって…祝賀パレードを開催しての大歓迎!

 

ところが、ところが!

 

明国の講和条項を読み上げると・・・・・

「明国は、日本を属国の一つとして、認めてあげます♡」だって。

 

「なななななんじゃ、そりゃ~!?バカにしてんのか!オラ~っ!」

この時、怒りを大爆発させた秀吉は、国書をビリビリに破いたとか、破かないとか…。

 

その翌年の1597年。

第二次朝鮮出兵である「慶長の役」が開始されました。

 

慶長の役の勝敗と真実!

 

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