文禄の役に引き続いて、続行された慶長の役。

これをもって、朝鮮出兵は終了しますが…この戦、どっちが勝ったんでしょう?

明・朝鮮?日本?

一応、勝者は「明・朝鮮」の方です。

だって、日本は戦の後に、引き返しているワケですから。

でも、どっちが強かったかと言うと、話は別。

押していたのは、日本のようでした。

どのくらい強かったかは…戦況を書いて置きますので、ぜひ参考にしてください。

蔚山城の戦い(うるうさんじょう)

慶長の役の目的は、朝鮮への征伐。

和平交渉が決裂した、オトシマエを付けるための戦でした。

 

その前の文禄の役は、明国の征服を目指していたので、同じ朝鮮出兵でも意味合いが違いますね。

 

 

さて、慶長の役の大きな戦闘では「蔚山城の戦い」(うるうさんじょう)があります。

蔚山城とは、朝鮮に築いた日本軍の城

 

日本軍はここを拠点として、戦を展開するつもりだったでしたが…

警戒をサボっていたら、明国と朝鮮の部隊に取り囲まれちゃった!

 

 

その頃の蔚山城は、まだ未完成で十分な防御が出来ません。

超ヤバいです。

城は無防備だし、食料もまだ運び込んでいない。

 

大ピンチの日本軍は、もう崩壊寸前!

加藤清正も、冷や汗ダラダラの心臓バクバクでした。

 

そこで、まともに戦えないので、和平交渉などしながら時間稼ぎ( ;∀;)

すると…待ってました!

 

援軍、毛利秀元の登場です。

 

この展開を予想していなかった、明・朝鮮の部隊はすんごい慌てます。

毛利秀元に背後から攻められ、パニック状態の一目散で逃げ出して行きました。

食料も、武器もすべて投げ捨てて…。

 

この蔚山城を囲んだ明・朝鮮の部隊は、4万とも5万とも言われています。

そんな大軍を蹴散らした秀元って…どんだけ強いんだ!(マジ強いんです、この人)

 

(全然関係ないですが・・・江戸時代に入って、秀元が江戸城に「鮭弁」を仕出し弁当に持っち込んだら、諸大名たちが「すっげー、鮭弁だよー!珍しいね」と群がり、みんな持って行かれた…と言う話があります。)

 

 

泗川の戦い

日本軍が築いた城の泗川城(しせんじょう)に、明国・朝鮮連合軍が総攻撃をかけて来ました。

日本には、ちょっとヤバい状況…

 

連合軍5万に対し、日本軍は7千人かそこいら。

いつものごとく、日本兵は数が少ないんです。

アウェーですからね。

 

まともにやったら、勝てるワケないです。

 

そこで…敵軍の食糧に放火をします。

食料が無いと、大軍はかえってお荷物になりますから、まずここを狙う。

 

すると、連合軍は食料がある間に、決着を付けようとします。

つまり、短期決戦で挑んで来るんです。

 

そこで連合軍には「叩けるものは全部叩こう」とする心理が働きます。

 

でも、それをやっちゃうと、どうなるか…?

気持ちが焦って、おとり作戦に引っかかっちゃうんです。

 

泗川城には、おとり戦法の名手、島津義弘がいました。

ああ、島津義弘…

この名前を聞いただけで、朝鮮や明国の兵が可哀そうに思えて来る。

 

おとり戦法「釣り野伏」の餌食にされた連合軍は、ズタボコに叩かれ…散々追い回されて…南江に追い詰められ…大量溺死。

明・朝鮮軍は、島津軍のことを「鬼石曼子」(おにしまず)と恐れ、その恐怖は日清戦争の時代までも語り継がれました。

(島津義弘の武勇は、地元鹿児島では今でも語り継がれています)

 

 

ちなみに、加藤清正も「鬼上官」と呼ばれ、激烈に恐れられていました。

(クレイジーなほど怖かった…)

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秀吉の死・撤退命令

ところが…1598年。

豊臣秀吉が、伏見城で病死してしまいます。

 

そして、徳川家康や前田利家らの大老たちは、朝鮮に渡った日本軍に撤退命令を出します。

明・朝鮮に知られる前に、早く帰れ…と。

 

 

ちなみに、当時の明国はヌルハチ(清朝の初代皇帝)との戦いが続き、財政破綻の寸前。

つまり、かなりパワーダウンしている状態でした。

 

そこへ、元気バリバリの日本軍が攻め込んで、もし秀吉の体調も万全だったら…

どうなったで事しょう?

 

 

当時の日本は、世界でもトップクラスの軍事大国。

世界侵略を進めていた、ヨーロッパの国々も「日本だけはムリ、あいつら鬼だ…」

と、ビビっていました。

 

そもそも朝鮮出兵は、日本から因縁を吹っ掛けて始まった戦だったので、機を見て撤退するのも止む無し…なんです。

しかし、信長や秀吉のように、ドデカい野望をもった武将が他にいなかったのも事実。

 

 

露梁海戦(ろりょうかいせん)

帰国命令を受けた日本の武将たちは、釜山に集まり出港します。

 

 

しかし、引き上げ途中の日本軍を、待ち構えていた者がいました。

朝鮮の英雄「李舜臣」(りしゅんしん)です。

 

李舜臣は日本軍の撤退を知り、海上を封鎖します。

「このまま、生きて帰れると思うなよ!!」

 

そこに現れた、島津軍の船団。

戦が終わって、ホッとしていた所に「なんじゃこりゃ~?ヤバいぞ~」

 

こっちは戦うつもりなんか無いのに、大軍が待ち構えてガンガン殺気を放っている…。

こうして「露梁海戦」が始まります。

 

 

まさに不意打ち。

戦の準備なんぞしていなかった島津軍は、大慌て。

 

やる気満々の李舜臣の水軍が襲い掛かり、島津軍はコテンパンに叩かれ、泣きそうな顔して逃げ帰るのが精いっぱい?

この時ばかりは、さすがの鬼島津も形無し、惨めな敗走…。

 

さすが、朝鮮のスーパーマン李舜臣!!

 

???

 

でも、でも、でも。

よく考えると、島津側の主だった武将達は全員無事でした。

 

対する、明・朝鮮の部隊は…

朝鮮の大将、李舜臣は鉄砲に被弾して討ち死。

明水軍の副大将、鄧子龍(とうしりゅう)は斬られて討ち死。

他、幹部の武将数名も戦死。

 

どういうこっちゃ?

確かに、最後に島津は逃げて帰りましたが…これじゃ、どっちが勝ったのかワカリマセン。

(ぶっちゃけ、日本の方が勝ってるかな?)

 

明国の滅亡

秀吉による朝鮮侵略により、明国は大ダメージを被りました。

(いやぁ、何とも…申し訳ない)

 

明国の古文書によれば…この戦で、明国の財政は「府庫、虚耗す」。

つまり「明国の金庫は空っぽ」になってしまったそうです。

お金、使い果たしちゃった!

 

お金が無い国家は、にっちもさっちも行かないのは、今も昔も同じ。

 

この18年後には、女真族ヌルハチが明国から独立した国家(後の)を建国してしまい、その28年後には明国滅亡しました。

 

 

ちなみに、秀吉の野望は明国(中国)はおろか、インドフィリピンにまで思いを馳せていたようです。

「ヨーロッパの国々が海外に進出しているんだから、なんで俺がやっちゃいけないの?」

みたいな感じで。

 

もし、秀吉が80歳まで生きていたら…世界の歴史が変わっていたかも?

沖縄県は、今じゃ普通に日本の県になっていますが、昔は朝鮮と同じ明の属国でしたからね。

台湾は中国ですが…。

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