徳川家康のことを知りたい…

でも、年表なんか見てもつまらないし、難しい戦の話を読んでもイマイチ良くわからん。

そんな方、意外と多いんじゃないでしょうか?

マニアック過ぎてもついていけないし、今さら分かり切った事聞いても楽しくない。

しかも、手短かに話してくれないと途中で飽きちゃう…ですよね?

分かりました!

ならば、今回は家康の「面白い所だけ」を語ってみましょう。

長すぎず、短すぎず…適度な感じで。

「上を見るな、身の程を知れ」by家康

徳川家康って、どんな人だと思います?

 

おそらく、これって「忍耐強い人」って答える人多いんじゃないでしょうか?

だって「鳴くまで待とうホトトギス」ですからね。

 

確かに家康は、忍耐強い。

でも、それだけじゃない。

 

家康は忍耐を重ねながら、我慢を重ねながら…じーっと人間を観察していたんですね。

 

今川での人質時代、武田とのボロ負けした戦、信長のプレッシャー、秀吉の才能…

我慢に耐えながら、ずーっと人の行いを見ていたんです。

 

飛びぬけて、強いヤツらに揉まれながら「秀吉の頭の良さには敵わない」とか

「信長には絶対に逆らえない」なんて、人間学習をしていました。

 

だから、家康には忍耐の裏側に、人を見る目を隠し持ってた。

人間を見抜く眼力

これこそが家康の成功の秘訣であり、最高の武器でもあったのです。

 

って言うと、カッコイイ感じがしちゃいますが…

 

実際には「強いヤツには逆らわない」「勝てないヤツには徹底して従う」

という戦略で、戦国時代を生き残って来たんですね(*´з`)

 

「オレは、信玄みたいに戦は強くないし…信長みたいな天才じゃないし…秀吉みたいに頭は良くない…だから、自分らしく生きよう。

あいつら、オレが背伸びしたくらいで、絶対に敵う相手じゃない…見りゃ、分かるよ」

 

でも、そこが家康の良い所。

 

自分の負けはちゃんと認める。

勝てない相手とはケンカしない。

そして…自分より優れた家臣には、カッコつけずに力を借りる…などなど。

 

普通、なかなか出来ないですよね?

偉くなると、人間は見栄張りたくなりますから。

 

しかし家康は、忍耐を重ねた人生の中で、大事な教訓を学んでいったのでした。

 

まぁ、実際には忍耐しないと生きていけない…と言う実情だったのですけど。

勝てなくても、負けないように生きた家康の人生。

 

で、それが後代の人から見たら、ホトトギスが鳴くのを待ってる様に思えたんですね。

 

ちなみに、家康の本性は「特攻隊長」みたいな、イケイケ人間なんです。

ただ、それは人前では出さない。(若い頃は無茶していました)

 

家康の家臣も、それを知っている。

「ウチの殿は、本当は『荒くれ者』なんだ、怒ったら怖いぜ~」と。

だからこそ、徳川家臣団は家康をナメることなく、結束力が高かったのでしょう。

 

 

天下を治めるのに必要なものは…

豊臣秀吉は日本を統一した後に、朝鮮出兵に突き進みます。

 

しかし、家康は「これで戦国時代は終わった、もう秀吉の時代ではない」

と、内心思ったそうです。

新しい時代がやって来るぞ…と。

 

そして「これからの世の中は武力は通用しないだろう。ならば次なる力が必要だ…」

と考え、学問を猛烈に学びました。

(凝り性な性格なんで)

 

で、何を勉強したかと言うと…

貞観政要(じょうがんせいよう)」という中国の政治学。

 

これは、王様とか政治学者しか読まない、かなりマニアックな文献です。

 

ただ、この時点では、まだ家康は天下を獲る見込みは立っていません。

しかし、時代の変化を予想し、戦国時代以降の世界に備える必要を感じたワケです。

 

また『藤原惺窩(ふじわらせいか)』という、死ぬほど頭の良い学者から儒学を学びます。

 

で、さらに「惺窩の弟子に『林羅山』っていう、バカみたい頭の良いお弟子さんがいるよ」

と聞けば、羅山からも学問を教わりました。

「そこまで、必要ないでしょ」ってぐらいまで。

 

そして、秀吉が死んで…関ヶ原の戦いに突入します。

 

関ヶ原の戦いは、ホントどっちが勝つか分からない戦でした。

まさに天下分け目。

ヘタしたら、西軍のほうが有利じゃないか?ってくらいです。

 

でも、結果は家康率いる東軍の勝利

ここから、家康の時代の幕開けです。

 

そこで…いよいよ必死に学んだ、儒学や政治学が役立つ時がくるんです。

新しい幕府を作らなくちゃいけないですからね。

 

ああ~勉強しといてヨカッタ!

 

関ヶ原の戦いと言うと…石田三成の平和への思いVS徳川家康の覇権欲の戦い!

みたいなイメージがあるかも知れない。

 

でも、家康は家康で新時代への幸福を願う気持ちがあったワケで、まるっきり腹黒いタヌキじじい…って事もなかった。

 

半分ぐらいは腹黒なんですけど、あと半分ぐらいは国民の幸せを祈っていたのです。

だから家康にも、天下を獲る資格はあったのです。

(三成ほどストイックじゃないですけど)

 

これがないと天下は治まらず、争いと戦の世界に逆戻りしてしまいます。

 

あと、天下を治めるのに重要なもの、もう一個。

それは…健康。

 

関ヶ原の戦いを制した家康なんですが…その後、大坂冬の陣・夏の陣がありました。

まぁ、関ヶ原で勝ってるんで、この期に及んで豊臣と戦っても、徳川は有利であります。

 

でもでも、家康がぼけ老人なっちゃったら士気は落ちるし、そのせいで戦がもつれたりしたら…徳川も危機を迎えたかも知れない。

やっぱ国のトップ(この頃は将軍辞めて大御所ですが…)が健康であることは、全体の統率力にも大きく影響します。

 

家康は、年をとってもずっと元気で、この時代ではかなりの長寿を全うしました。(73歳)

健康で長生きしたって言うのも、家康の人生の特徴ですね。

 

もし、家康が病弱で寝たきりだったら、天下を獲っても長持ちしなかったかも…。

 

大坂の陣が片付くと、さすがに「もう、死んでもいいよ」って状態になります。

豊臣に完全勝利しましたから。

 

そして、実際に翌年には死んでいます。

うまく測ったように…これも運命なのか??

グレート家康!

 

徳川がずっと続いた理由

徳川幕府は260年の長きに渡って継続します。

しかも、かなり安定した状態で。

 

これには、家康が作ったある制度が深く関係しています。

 

これは「長子相続制度」というもので…

「徳川の家は、一番上の兄貴が継ぐ」という取り決めであります。

 

「どんなバカでも長男が後を継ぐ!これ大事だからな、絶対に守れよ!」と。

 

家康は、次の将軍の座を秀忠に譲ったのですが…

特に、秀忠が優秀だからそうしたんじゃないんです。

 

むしろ、その逆でとろい方の部類でした。

でも、それがいいんだよ…

 

もし「家督を継ぐ者は優秀であるべし!」

みたいな事やってたら、たちまち兄弟ケンカになっちゃう。

 

「オレの方が立派だぜ」とか

「アニキは家督を継ぐ資格がない」なんて言い出したら…

それは、戦国時代に散々やってますから、幕府が分裂するのが目に見えてる。

 

それだったら、最初から「家督はアニキ」って決めちゃう。

もし、アニキがアホだったら皆で助けてあげる。

 

また、アニキも「オレ将軍だから…」みたいに、威張っちゃいけない。

周りに支えられて、初めて将軍が成り立つというもの。

これを、肝に銘じるべし…と。

 

これが戦国時代だったら、主君は強くないとマズイんですが…

平和な時代に優秀さばかりを尊重すると、ケンカ元になる。

 

でも、平和な時代が続くと、その辺のバランス感覚が分からなくなってしまうだろう。

ならば「家康を信じて、家督はアニキとすべし。黙って従え」とします。

 

これは、戦国時代を生き抜いた家康が、嫌と言うほど目にしてきた人間の現実。

 

痛い思いして、改めて平和の有り難さを思い知るなんて…いかにバカバカしいことか。

みんなで一番を争って、血みどろになって戦う…大きすぎる代償。

 

後代の者には、家康の痛感した思いは伝わらないかも知れない。

ぐちゃぐちゃの戦国時代を体験していませんから。

 

でもでも、実検してわざわざ苦労するより、信じて平和である方が人間として利口でしょ?

「長子相続制度」には、家康のそんな思いが込められていました。

 

そして、長年に渡る平和な時代が訪れた。

 

といっても、後の将軍たちも時々は悩みましたよ。

「こんなヤツを将軍にしちゃっていいのかよ?」って。

 

例えば、9代目将軍・徳川家重の時。

家重は徳川の長男なんですけど、頭がパッパラパーで、もう何言ってんだか良く分らん。

普段から、ろれつが回っていない…。

 

それに比べ、次男の宗武(むねたけ)の方が100倍しっかりしている。

頭はバリバリ良いし、武芸も達者。

思いっきり将軍向き。

 

だけど…オヤジの徳川吉宗(暴れん坊将軍!)は賢明な判断をしました。

家康の意向を信じて、家重を将軍に…。

 

ここで、次男を将軍にしたら必ず

「家重様には、将軍になる権限がある」

「いやいや、バカが将軍になったら国民に示しがつきませんよ」

なんて、騒ぎだすヤツが現れます。

(言ってることが正しいだけに、タチが悪い)

 

この時ばかりは、天国の家康もハラハラした事でしょうね。

 

まとめ

家康って普通の人に比べれば、武芸は達者だし、頭も良いし、人望だって厚い。

でも、秀吉や信長や信玄に比べると若干見劣りがします。

天才でもなけりゃ、最強でもない。

そこで、家康は己の「身の程を知る」事の大切さを痛感します。

しかし、それは消極的な意味での教訓ではなく、したたかに生き残るための戦略。

一番でない者や、最強になれない者がいかに勝ち残っていくか?

その生き様は、後世に「鳴くまで待とうホトトギス」と称され、長年続く徳川幕府の基礎を作り上げました。

ちなみに、家康の評価は日本国内よりも海外のほうが高いようですよ。

<スポンサーリンク>