今回から、7回に分けて「豊臣秀吉の性格を知る逸話」シリーズをお送りします。

若い頃から順番に、人情話、武勇伝、笑える話…などなど。

 

秀吉の魅力に触れ、ちょっとでもハッピーな気持ちになってもらえたら幸いです。

簡単な文章で書いてありますので、気軽に楽しんで下さい。

 

さて、第一回は「想定外の大バカ野郎・秀吉の少年時代」お送りします

子供のころの秀吉って、かわいいんですよ・・・

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日吉VS竹阿弥

豊臣秀吉は、幼少期は「日吉(ひよし)」と呼ばれ、尾張国中村郷(名古屋市)に生まれました。

貧乏な農民の子で父は「弥右衛門」、母は「なか」と言います。(「なか」は後の大政所)

 

しかし、父親の弥右衛門は足軽仕事の途中で死んでしまい、なかは他の男性と結婚します。

その相手は、弥右衛門の足軽仲間の「竹阿弥(ちくあみ)」。

 

竹阿弥は日吉にとって、二人目の父親。

優しいパパさんだった良かったのですけど…竹阿弥は一癖ある人で、日吉に対してきびしく暴力を振るうんです。

 

すると、日吉も日吉で負けずに反発します。

 

そして反発したら、さらにやり返す…

これじゃ、いつまでたっても収集がつきませんよね。

 

もちろん、母親のなかも双方に気を遣うんですが、ついにお手上げ。

 

そこで「日吉、あんた明日からお寺に行きなさい。お坊さん修行頑張ってね…」

と、お寺に預けられてしまいます。

 

それは、尾張にある光明寺というお寺に。

時に、豊臣秀吉が8歳のころでした。

 

お寺に入ったものの・・・

光明寺の問題児

母なかの考えでは…日吉はバカじゃないので、お寺で学問でも習わせればちゃんと出家できるだろうと思っていました。

 

しかし、日吉からすれば好きでお寺に来たワケじゃない。

坊さん修行なんか、てんで身に入らない。

 

唯一、マジメになるのは武士の話を聞くときだけ。

 

それどころか、朝晩剣術の稽古みたいな事をして、仲間とチャンバラごっこに明け暮れます。

これがエスカレートすると、ケンカに発展して鼻血が出たり、突き指したり、仏像を壊したり…

当然、お寺の和尚さんにも叱られるワケです。

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皆さんは、お寺の和尚さんに叱られた事ありますか?

和尚さんて、怒るとかなり怖いですよ。

小さい子供なんか、一発で撃沈…

 

しかし、日吉は意に介さず平気っ面。

さらに「坊主はみんな乞食みたいなもんだ。オレをそんなもんと一緒にしないでくれ!」

と、突っ張り返します。

 

くそ生意気なガキですね。

 

寺を燃やしてやる!

ここまで言われた和尚さんは、日吉にガツンとお灸をすえてやるのかと思いきや…

降参しちゃうんですorz…

 

「コイツは、我々の手に負えない」って、事で。

そこで、日吉を実家に帰そうとします。

 

しかし、これを聞いた日吉は猛反発!

問題児のくせに…

 

実家に帰れば、竹阿弥の虐待が待っている。

強気な日吉も、さすがにそれはイヤなんですね。

 

だから、家に帰りたくない。

 

そこで、秀吉はお寺の和尚さんたちにこう言い放ちました。

「オレを家に帰すなら、寺に放火して坊主もろとも皆殺しだ!」

 

とんでもないヤツですね。

思いっきり逆ギレです。

 

理不尽度200%。

 

するとお寺の和尚さんは、ますます恐れをなして何が何で日吉を追放しようと考えます。

 

そこで・・・

「日吉くん、君はお寺を卒業した、、おめでとう。

この扇子帷子は、そのお祝いです。

新しい人生、これからもがんばってくれ」

と、手を変え実家に送り返します。

 

こうして日吉は、せっかく入ったお寺を早々に追い出されました。

お寺にいた期間は、1年か2年ぐらいのもの。

 

このエピソードは、あまり人に自慢できる話じゃないですね…

でも、日吉の「いい根性してる」感は、十分伝わってきます。

 

こんな生徒が小学校の教室にいたら絶対イヤなんですけど、このブチ切れ加減が全国を統一する原動力になります。

 

かくして、日吉はお家に強制送還…でも、またすぐに家を出てします。

どうしても、竹阿弥との反りが合わなくて。

 

そして、再び家を出た日吉は、また新たな波乱を巻き起こしました。

それは・・・第二話に続きます(*^-^*)

 

「豊臣秀吉の性格」を知る逸話②【最初の手柄と涙の別れ】

 

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