【花の御所とは?】足利パワーを見せつけろ!室町の超豪邸

花の御所とは、足利将軍家の邸宅。

将軍のお家ですからね、ドドーンと立派なワケです。

そして、これは足利家の力の象徴でもあり、将軍のパワーを見せつけるためにもゴージャス感バリバリで盛り上がります。

今日は、そんな気合の入った花の御所の基礎知識や、素朴な疑問についてお送りします。

花の御所を通して、室町時代に思いを馳せてください…

 

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花の御所とは

花の御所とは、足利義満が京都に建てた将軍家のお家。

王朝風の建築様式を取り入れた、そりゃ立派な御殿でした。

 

花の御所は1378年に建てられ、敷地の大きさは縦100メートル×横200メートルに及ぶ巨大な建物。

ちなみに、これは天皇の御所の2倍くらいの広さ!

 

 

じゃあ、どうしてこんなにバカでかいのを造ったのかと言うと…「見栄」です。

良いんです、見栄で…

これが、武士のプライドなんです。

 

 

室町時代に入ると、本格的に武家の力が強さを増してきます。

でも、伝統とか格式とか文化的なものは、イマイチお公家様には及ばない。

 

しかし「世の中はオレたちが回しているんだ」という自負から、負けじ根性を働かせて他所様の家よりでかい花の御所を建てたました。

 

庭園にはお花などをきれいに植えて、文字通り華やかな雰囲気に仕立て上げました。

「どうだい!将軍ってスゲーだろ」みたいな感じで。

 

 

武将っていう人種は、性格が体育会系なので「ご立派感」を出そうとすると、バカでかいとか、、キンキラキンとか、、そっちに行っちゃう。

ま、それはそれで良いんですが…

その当時の、武将っぽいゴージャス感を表した邸宅が「花の御所」というワケでした。

 

 

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なんで花の御所?

花の御所って言うくらいだから、御所にはいろんな花が咲き乱れています。

これは義満自身が「花好き」という事と、家臣や大名の忠誠心を試す意味もありました。

 

 

御所にきれいなお花が咲いてるって、素敵じゃないですか?

誰も文句言いませんよね。

どんどん綺麗にしてほしい。

だからこそ、お花は人心掌握には好都合なのでした…

 

御所には将軍家に御用があって、日々いろんな人が訪ねてきます。

 

そしてそこは、お花の楽園なもんですから、花好きな人なら「私、こんなきれいなお花、知ってますよ」なんて事、教えてくれます。

すると「じゃあ、今度持ってきてくださいよ…御所に植えたいですから」みたいな話になりますよね。

 

実は、これが政治的に深い意味があるんです。

 

 

自分の好きな花があって、これを将軍が認めてくれて、御所できれいに咲いている。

そういうの、、ちょっとウレシイじゃないですか。

認められているみたいで、誇らしい気持ちになる。

 

それで、一度喜んでくれたら、またきれいなお花を持って行ってあげたい…と思います。

 

そんな交流を、諸大名や家臣とやってると「花ともだち」みたいになって、さらに互いに競って良いお花を持って行こうとします。

「○○さん、いつもお花ありがとう!みんな、素敵って褒めてたよ」

「いや~それは、感激です。ところで、そこにある珍しい花は何ですか?」

「これは、△△さんが持ってきたヤツで・・・」

「ほほ~、そいつは貴重ですね。それじゃ私も今度、新作を持ってきますよ」と。

 

 

競うって言っても、しょせんお花ですからホンワカしたものです。

ただ、そのお花の交流をしていると、知らず知らずに将軍への忠誠心が育ってしまう。

「誰よりも将軍に喜んでもらいたい、認めてもらいたい」みたいな感じで。

 

きれいに咲き乱れるお花には、そんな狙いもありました。

 

 

御所はどこにある?

花の御所は、京都の内裏(天皇の御所)の近くにありました。

(場所的には、現在の同志社大学室町キャンパスのあたり)

 

足利義満は、わざわざ天皇の御所の近くに巨大な御所を建てる。

しかも、内裏より大きいのを作って、北側に配置。

 

 

これは「北側から天皇を監視してますよ」という意味でもあります。

なんだか、すごく偉そうですよね?

 

でも、義満は金もってるし!権力はあるし!南北に分かれた天皇の系統を一つにまとめちゃうし!義満のお母さんの血筋には天皇の血が流れてる!

だから…くやしいけど、文句の付けようがない。

 

そして、内裏を上から見下ろすような位置に、花の御所を造りました。

花の御所があの時、あの場所にあったと言うことは…それだけ、足利義満の力が強大であったことを物語っています。

 

 

いつまで存在していたのか?

足利家の権力の象徴と言える、花の御所。

 

しかしその栄華も、これまた象徴的な出来事によって失われます。

応仁の乱で焼かれちゃったんですね。

 

 

この時の足利将軍は、8代目の足利義政なのですが…この義政の登場が、非常に時代の変化を感じさせます。

それまでの室町時代は、足利義満をシンボルとしたようなイケイケ、キラキラ、みたいなバブリー時代でした。

しかし、義政の頃になると幕府の力も衰え、シブいっていうか暗いって言うか…今までとは違った時代感に包まれます。

 

 

足利義政は、強すぎる幕府に反発する家臣たちによって作られた将軍。

だから、必然的に時代の流れも変わってしまいます。

力を弱めた幕府は、次第に統率力を失い…大名達に振り回された結果、応仁の乱が勃発します。

 

でその結果、花の御所は応仁の乱の戦火をくらって焼失

1476年のことでした。

 

 

って言うか、それ以前に花の御所は義政が大改造しちゃってます。

だから、その頃にはゴージャスな足利家の象徴としての役割は、終えていたのかも知れません。

 

 

まとめ

足利家の力を象徴する花の御所。

それは、天皇家でさえ圧倒する室町幕府の勢いを表していました。

御所に咲き乱れる花は、幕府の統率力の証。

しかし、時代の変化が訪れると共に、花の御所は応仁の乱の戦火によって焼失。

足利家の衰退を告げるように…

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