「たしなみの武辺は、生まれながらの武辺に勝れり…」

これって、イマイチ信長らしくない名言のような気がしますね。

 

でも、織田信長ってああ見えて結構な苦労人なんです。

お母さんはかまってくれないし、皆にうつけ者とよばれてバカにされるし、仲間は裏切るし…

 

だからその反面、努力して自分を補いました。

意外と地味な努力もしてるんです。

 

そして、自らをたしなむことが、後に大きな実を結ぶこともありました。

その一つが「桶狭間の戦い」。

 

では、桶狭間の戦いのどこが「たしなみの武辺」なのか、ちょっと見てみましょう。

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たしなみの武辺は、生まれながらの武辺に勝れり

たしなみの武辺は、生まれながらの武辺に勝れり」とは…

努力して得た力は、生まれ持った才能に勝る、という意味。

 

徹底した実力主義者の信長なら、才能だけだろが、頑張って努力しようが、仕事さえできれば何でもいいじゃん、、て考えそうですよね?

ところが、意外と努力することを重視してるんです。

 

信長はがんばって努力してる人には、気前よくご褒美をあげます。

そういう人でした。

 

ま、それは仕事でちゃんと成果を出してるってことが、前提ではありますが。

 

それについては、こういう話があります。

 

成政と利家の話

 

むかし、佐々成政前田利家が柴田勝家の下で働いていた時のこと。

戦が終了したとある城で、成政と利家がケンカしてました。

 

お互いに手柄を譲り合って「これはお前がとった首だ!」

「いいや、トドメを刺したのはそっちだぞ!」みたいなこと言って。

 

そして、それを見た勝家は「お前ら、そんな手柄がいらないならオレがもらっていくぜ」

と、成政たちが討ち取った首を、かっさらっていきます。

 

すると後日、成政と利家は信長に呼び出され…二人とも褒美をもらいました。

(この場合、勝家も粋ですね)

 

怠け者の武将だったら、チョンボしてでも人の手柄を横取りしていきますが…この二人はそれとは真逆。

山分けさえ、しようともしない。

 

きっと信長の目には、成政や利家の姿が頼もしく思えたんでしょう。

だから、ボーナスを2倍払った。

 

信長は頑張ってる人にはそれ以上に報いようとしてくれるんです。

だから「たしなみの武辺は、生まれながらの武辺に勝れり」

 

 

それは、信長自身が「たしなみの武辺」を実践しているからこそ、家臣の奮励が分かるんです。

そして、その生き様は「桶狭間の戦い」にもはっきりと表れています。

 

 

桶狭間の戦いをぶち抜いた信長のたしなみ

見かけによらぬ武士のプライド

信長は子供の頃から気性が荒く、おまけにうつけ者(アホ)呼ばわりされていたので

「コイツが織田の家督を継ぐのはムリだ」思われていたようです。

 

弟の信行の方がよっぽどお利口さんで、それは家臣の人達もみんな認めるところ。

 

でも、信長は嫡男のプライドもあって家督を継ぐつもりでいるし、織田家の事は誰よりも考えていました。

そして、後継ぎの自覚があるこそ、将来の不安も感じます。

 

それは、今川義元の脅威。

今川の領土は三河を挟んだ一個向こうの国だけど、いつかきっと尾張に攻め込んで来る。

巨大な今川が…

 

その当時、織田家の親分は斯波氏という守護大名でしたが…凋落傾向がありありと見える。

そんな調子で、尾張を守りきれるだろうか?

 

信長の胸には、いつもそんな不安が潜んでいました。

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だからこそ、信長は学問や武芸には熱心に取り組み、暇さえあれば尾張国内をつぶさに調査し、うつけ者軍団を組織し、いつか来る将来の大戦へ向けて準備します。

 

「どうやったら今川の勝てるか?」

 

信長は子供の頃から、そんなことばっかり考えていました。

見た目は、パッパラパーなドラ息子なんですが。

 

信長は桶狭間の戦いを天才的な閃きで、勝ったようなイメージがありますが…それ以前に、世紀の一戦のためにず~っと準備していたんです。

 

今川の戦力を分析し、計略を練って、戦場の地形や距離を体に叩き込み、新しい家臣団の育成を進める。

コツコツと備えて、今川への闘志を燃やしていた。

 

でも、なかなか勝てる見込みはありません。

でもでも、諦めない信長。

 

まともに戦ったら、絶対に勝てないだろう…だから針の穴ほどの勝機を探る。

 

このままじゃ、絶対に今川に喰われてしまう。

どうしよう??

 

そんな逆境が、織田信長という男をつくりました。

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桶狭間で実った信長のたしなみ

で、そうこうしているうちに(濃姫と結婚したり、尾張を統一したり)今川義元が上洛の動きを見せます。

…ってことは、その道すがら尾張の織田家を倒しに来る、という意味につながります。

 

「ついに、この日が来たか」

それは信長だけでなく、織田家臣団のみんなも同じ思いでした。

 

まともにやったら、絶対に勝てない。

戦力が全然ちがいますから。

じゃあどうしよう?

 

一応、織田家中でも軍議を開くんですが、みんな「籠城」とか「降伏」とかしょうもない事ばっかり言ってる。

最悪なのは「徹底抗戦」とかほざいてるヤツ。

それ、絶対に無理だから…

 

それで、残された戦法は「奇襲作戦」しかないんですが、これをどこで仕掛けるかがポイント。

 

奇襲だから、相手のスキを突かなきゃいけません。

でも、どこで今川がスキを見せるかは、攻め込んで来て初めて分かるもの。

 

そして、スキを見せたら瞬時に判断して電光石火で攻撃する。

チャンスは一瞬しかない。

 

信長は、その一瞬のチャンスのために生きてきました。

巨大な今川に勝つための、千載一遇のチャンスのために。

 

だから信長は、子供の頃から何十年もかけて武芸や兵法を学び、尾張の全地図を頭にインプットし、今川の兵力も徹底調査してきました。

 

そして、いよいよ今川軍の襲来!

すると、これと同時に偵察隊からの情報が逐一届き、信長の頭脳コンピューターが動き出す。

 

信長の頭の中のモニターには今川軍の姿が映し出され、移動時間や攻撃ルートのナビゲーションも作動します。

で、ついにやって来た桶狭間!

 

「はは~ん、義元は桶狭間の盆地道を通過するつもりだな?

それなら、ここを○○時に出発して、どこそこの道を進んで、△△分で到着できるぞ。

突撃するなら、そこしかない!」

 

針の穴を通すような奇襲。

もちろんそれは、敵に知られてはいけないし、信長だけが知る必勝法でした。

 

その後は、テレビでよく見るいつもの流れです。

(敦盛→湯付け→熱田神社→義元襲撃)

 

もし信長が、タダの天才だったらここまでの奇蹟は起こらなかでしょう。

 

どう考えても、織田が今川を相手にして勝てるワケがない。

しかし、事実は歴史の示すとおり…

 

織田軍の華々しい勝利の裏には、信長の地道でたゆまぬ努力がありました。

 

たしなみの武辺は、生まれながらの武辺に勝れり

は、苦労してピンチを乗り切った弱小大名の暮らしの知恵だったのです。

 

たしなみの武辺こそが信長に力を与え、歴史的な勝利を呼び込んだのでした。

 

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