山陰、山陽の武将

山陰、山陽の武将

宇喜多秀家【なぜ八丈島?】流刑地で第二の人生&長寿命達成!

宇喜多秀家は27歳の若さで五大老の一人に抜擢された、戦国時代の超エリート大名。 ところが、関ヶ原の戦いに負けた後の秀家は、八丈島への島流し。 天国から真っ逆さまの大転落。 しかし、島での生活では83歳というご長...
中部の武将

比叡山焼き討ち【信長】なぜ延暦寺を…魔人の狂気か?

残虐行為の極み、織田信長の比叡山焼き討ち。 学問と仏教の聖地である延暦寺を焼き、何千もの僧侶たちの命を奪った極悪非道の所業。 それは諸大名はもとより、織田家臣団の中からも非難ごうごうの大反発が起こりました。 でも、その延暦寺ってウラで...
山陰、山陽の武将

【安国寺恵瓊】関ヶ原で死を恐れ、首をすくめた坊主の生涯と逸話とは

安国寺恵瓊(あんこくじえけい)とは武将風味のお坊さんです。 恵瓊は戦に参戦したり、他の大名との交渉をやったり、6万石もの所領を持っていたのでまるで戦国大名の様ですがやっぱり、ちょっと違う。 頭は良いんですが、武将みたいに根性が据わってい...
山陰、山陽の武将

三本の矢のネタは嘘?毛利と吉川、小早川兄弟を繋ぐ名言の意味とは?

三矢の訓 毛利元就の有名なエピソードの一つとして「三矢の訓」(さんしのおしえ)と言うのがありますね。 有名過ぎて、小学生でも知ってるでしょう。 昔は、学校の教科書に載ってたくらいですから。 元就が臨終の間際で… 毛利元就が死ぬ...
山陰、山陽の武将

吉川経家【鳥取城】悪夢の籠城戦vs秀吉(1581年)

秀吉と戦う為に、鳥取城にやって来た吉川経家(つねいえ)。 経家は籠城戦で対抗しますが、後でとんでもない目に遭います。 それは、地獄の籠城戦… 吉川経家 吉川経家は毛利系の武将。 石見国(島根県)出身。 1547年生ま...
四国の武将

戦国大名一覧【中国・四国編】毛利、尼子、長宗我部…

目次をクリックして、お好きな大名に飛べます。 中国・四国の戦国大名の歴史&簡単説明です。 軽~く読んで楽しんでください。 毛利氏 毛利の祖先は毛利季光(すえみつ)という鎌倉幕府の御家人です。 季光は相模国愛甲郡毛利荘(...
山陰、山陽の武将

村上水軍とは?瀬戸内海の最強伝説!海賊武将の歴史や伝説、特徴など

村上水軍とは、瀬戸内海の海賊。 日本は島国ですから、必然的に周りは海。 すると、そこに縄張りを巡らせて支配する人たちが現れます。 海の豪族、海の武将、海の軍隊、これすなわち海賊。 戦国武将って言うと、陸の武将ばかりに目が行き...
山陰、山陽の武将

山中鹿之助の名言の伝説!最強エピソードや性格にまつわる逸話も!

山中鹿之助と言えば、あの名言「我に七難八苦を与え給え」という言葉を残した武将。 ところがあの名言には、もうちょっと庶民的な願いが込められていました。 七難八苦を…なんて言われると、いかにも鹿之助が孤高の哲人みたいな感じがしますが、実...
山陰、山陽の武将

宮本武蔵の経歴や晩年の逸話~巌流島で決闘した最強剣豪の性格と歴史

宮本武蔵といえば佐々木小次郎との対決が有名ですね。 今回は、この二人が巌流島で戦った理由について書いてみます。 どうして武蔵と小次郎は戦ったのか? 武蔵と小次郎が戦った理由それは…「日本一の剣豪」を決めるため!です。 当...
九州の武将

大阪五人衆【大阪の陣】幸村、又兵衛、勝永、盛親、全登!五人の武将

戦国時代と言うと、関ヶ原の戦いで終了してしまった感がありますね。 しかし、大坂冬の陣、夏の陣も見逃せません。 これこそ戦国時代の総決算であり、時代が転換する決定的瞬間でもありました。 スゴイ顔ぶれ!大阪五人衆 大阪五人衆とは大阪...
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