武田信玄

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【武田信玄】逸話で語る信玄シリーズ⑥「信玄の遺志を継いだのはあの人」

武田信玄は1573年に病没します。 しかし、信玄は大きな国や、武将としての思想やノウハウを残してくれました。 そして、信玄の偉大な遺産を受け継いだ者は・・・息子の勝頼?? いいえ、勝頼は信玄の遺言をことごとく背いて、ついには武田家...
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【武田信玄】逸話で語る信玄シリーズ⑤「謙信も及ばぬ信玄の強みとは?」

武田信玄のライバル、上杉謙信が信玄に勝てなかったところ…それは「勝ち過ぎない」こと。 勝ち過ぎない方が、謙信にとっては都合が良いように感じますが、それは間違え。 たまには勝ち過ぎてくれた方が、信玄もパワーを消耗してくれるし、どのくら...
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【武田信玄】逸話で語る信玄シリーズ④「人は石垣、人は城」信玄の哲学

「大将の務めは領地を見渡し、人を活かして戦に勝つこと。だからデカい城なんか要らない」 信玄は、常にそう語りました。 そして、城はショボくても領民や武士を大事にします。 ゴージャスな城に引きこもって、踏ん反りかえっているようじゃ...
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【武田信玄】逸話で語る信玄シリーズ③「情報戦で家康をズタボコに」

戦場の表舞台にはあまり登場しませんが、裏で非常に大きな役割を担ったのが「斥候」(せ っこう)とか「間者」(かんじゃ)と呼ばれる特殊工作員の人たち。 要するに「忍者」のことです。 武田信玄は、この忍者たちの任務を重要視していたよ...
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【武田信玄】逸話で語る信玄シリーズ②「幸運の鳩を撃ち殺した理由とは?」

戦国最強と称せられた武田信玄。 では、その強さの秘訣は? そりゃまぁ、いろいろあるんですけど…いかにも信玄らしい、、ところで言えば合理性です。 戦国時代では、まだ時代的に戦で迷信を取り入れることが、度々ありました。 でも、信玄は現実...
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【武田信玄】逸話で語る信玄シリーズ①「3千の兵を2万に見せる方法」

子供の頃の信玄は、聡明な秀才児であったことは広く知られています。 ただ、今回ご紹介するエピソードは信玄が単なる秀才ではなく、戦国武将としての器の広さを感じさせるお話です。 難しい話じゃないですから、サクッと読んで楽しんでください。 ...
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【武田信玄とは】丸ごと分かる信玄の歴史!簡単説明

甲斐の虎「武田信玄」。 名前ぐらいは、小学生でも知っています。 また、さらに風林火山とか、上杉謙信との戦いとか、戦国最強説などは誰もが耳にする言葉ですよね。 でもそれって、バラバラに覚えていたら信玄のイメージも曖昧だったり...
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1573年【室町幕府滅亡】信長時代到来!義昭の逃亡、信玄の入滅

1573年、足利義昭がついにが京都から追放されました。 追い出したのはもちろんあの男、織田信長です。 5年前に上洛したときは、仲良く二人三脚でやって来たんですけどね。 その後、互いに本性を剥き出した二人は反発し合い…場外に押し出された...
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1560年【義元、信長、信玄…】いよいよ戦国の新時代に突入!

1560年と言えば、桶狭間の戦いです。 中学校で習いましたね。 「天下に一番近い男」と言われた今川義元を、弱小大名の織田信長が倒した有名な戦。 この革命的な出来事は、中部の勢力地図を大きく塗り替える切っ掛けとなりました。 …...
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快川紹喜とは【心頭滅却すれば火もまた涼し】おい信玄、お前アホか…?

快川紹喜というお坊さん 快川紹喜(かいかわじょうき)とは、あの武田信玄に禅の教えを授けたお坊さん。 有名な辞世に「心頭滅却すれば火もまた涼し」 というのがあります。 本当は別のお坊さんの言葉らしいんですけど、そんな細かい...
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