【北山文化とは】金閣寺や足利義満など!カンタン説明

北山文化とは、室町時代に発展した文化のひとつ。(もうひとつは東山文化)

北山文化で一番象徴的なものは、みなさんご存知の『金閣寺』。

中学の修学旅行で、見た人も多いんじゃないでしょうか?

 

これまでの日本の文化って言うと、目につくものはどうしたって公家的でした。

しかし、時代的に武家が力を伸ばしてくると、文化や芸術にもその影響を及ぼしてきます。

で、それがきちんと形をもって現れたのが北山文化、、というワケです。

 

今日は、そんな北山文化の特徴や歴史について書いてみます。

簡単に説明してありますから、気楽に楽しんでください。

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北山文化って、どんなもの?

北山文化とは、武士の台頭と共に室町時代に流行った文化。

 

後になって東山文化っていうのが出て来ますが、順番的には北山の方が先です。

ざっくりいうと、3代目将軍の義満の時が北山で、8代目の義政が東山。

 

ま、それはそうと…とりあえず、北山文化の代表選手を3個紹介します。

金閣、水墨、能の3つですよ~

 

まずは金閣寺

日本人なら、誰でも知ってる金閣寺

あの金ピカの建造物です。

 

金閣寺って見た目は派手なんですが、基本的には従来からある寝殿造で、その上に武家屋敷と、寺院建築を乗っけたもの。

斬新といえば斬新なんですが、まるっきり「北山オリジナル」って事もないんです。

 

当時はまだ武家文化が発達していなかったので、公家文化をパクリながら新しい文化を表現しようとしています。

 

特筆すべきは、あのキンキラキンの外壁ですよね。

あれは、当時の武将の「ゴージャス主義」を表したもの。

 

あの頃は、まだ文化的には公家貴族の方がリードしていました。

 

しかし、武家も経済や権力では、かなりの勢いで盛り上がって来ます。

そこで「オレたちの時代」を表現するためにコテコテ、ギラギラで存在をアピールしていたんですね。

 

金箔を貼れば、北山文化ってワケでもないんですが…あの派手さは、当時の武家の気概を表していて、大事なポイントの一つ。

「オラオラ」って感じで。

 

 

ちなみに金閣寺っていうのは通称で、本名は鹿苑寺金閣

ま、どっちでもいいんですが…

 

「よお~、ポン!」の

笛と太鼓で演奏して、お面被って演じる舞台芸術。

 

これも、北山文化の一つです。

 

僕にはどこが面白いのかサッパリ分からないのですが、ハマるとヤバいそうです…

 

 

能の元祖は、奈良時代にまで遡る舞踊芸能でありますが、これが室町時代にはいると足利義満の支援を受けて『世阿弥』が芸術の域にまで高めます。

 

能は金閣寺でも上演され、足利義満もファンだし、後小松天皇も好きだって事で、世間的に広まる切っ掛けをつかみます。

 

 

これ以降、能は日本の文化として伝承され、いまじゃユネスコの無形文化財産の仲間入りしてますね。

 

予備知識なしで見ると、速攻で眠くなりそうですが…

 

水墨画

水墨画は昔から日本にありましたが、室町時代に入ってから大いに発展します。

そして、水墨画も北山文化の特徴を表しています。

 

北山文化は、今までの公家文化と仏教文化を独自の調合でミックスした文化なんですが、これに大きな影響を与えたのが、禅宗の精神。

 

禅宗は当時、足利家のご贔屓により、だいぶ大事にされます。

そして、水墨画は禅の境地を見事に表現し、多くのファンを獲得します。

 

 

仏教精神を言葉でなく、絵画で表わしているところがいいんです。

感覚的に理解できますからね。

 

そして、水墨画は東山文化の時代に完成しますが、そこに至るには北山文化での発展があってこそ。

 

北山文化の水墨画を描いたのは、禅宗の僧侶達でして…その代表者として明兆如拙周文の名が挙げられます。

ちょっとマニアックですが、何となく聞き覚えありませんか?

 

 

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北山文化の成り立ち

さっきも書きましたが、北山文化とは武士がブームを盛り上げた文化。

 

武士は昔から日本にいましたが、基本的に体育会系の人種なので、文化はちょっと弱かったんですね。

文化は文系の人が強いです…貴族とか坊さんとか。

 

 

それが、平安→鎌倉→室町と時代を経るにしたがって、武士の存在がどんどん大きくなる。

鎌倉時代あたりではまだ平安のにおいがしましたが、さすがに室町時代になると、かなり武士社会になってきます。

 

武士と言えどもやはり人間ですから、生活に余裕が出て来ると、心豊かな暮らしがしたい。

 

でも、そのころは武士独自の文化は育っていなくて、豊かな暮らしって言う、とお公家さまの生活や文化を見本にしていました。

ただ、そのままじゃ武士らしくないので、仏教精神を取り入れたり、バサラ大名的な派手派手デザインをミックスしたりします。

 

そこで出来上がったのが、北山文化でした。

武士独自の文化…と、までは行きませんが、武士が造った独特な文化。

 

 

北山文化の「北山」とは、足利義満が京都の北山に「北山殿」という別荘を持っていたことがが由来です。

金閣寺もそうですが、北山文化における足利義満の存在ってすごく大きい。

 

義満の時代は幕府の権力もめっちゃ高くて、日明貿易(勘合貿易)でもザクザク儲かっていたので、文化に金を回せる余裕がありました。

 

文化、芸術は金が無くても出来ますが、あればあったで勢いや派手さが違います。

これも、北山文化の特色ですね。

 

まとめ

北山文化→金閣寺、能、水墨画、足利義満、武士的、華やか。

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