1588年は豊臣秀吉が刀狩を開始した年。

この頃になると、豊臣の日本統一はすぐ目の前。

抜け目のない秀吉は、諸大名へさらなる支配力を高める為に、農民の刀狩を行います。

戦国時代もそろそろ大詰めですね。

刀狩スタート

 

豊臣秀吉は1588年に、国内の農民を対象に刀狩を行いました。

それは刀を取り上げて、武士と農民を分離するのが目的とされています。

 

「農民は農作業をしてこそ、幸せなんです。

物騒な刀や槍は溶かして大仏にしてあげますから、ご利益がありますよ」

と説いて、刀を没収していく。

 

それは、戦乱の時代に平和が訪れたかような法令。

でも、本音は各大名からの税収軍役を増やして、豊臣の支配を強める為のものなのです。

(最初はちょっと手こずったようです)

 

太閤検地の難しさ

刀狩の先立って、秀吉は「太閤検地」なる政策を行っています。

これは畑や田んぼの面積を正確に測って、年貢の量をきちんと割り出す事を言います。

 

現代人の感覚では「そんなの当たり前じゃん」て思いますよね?

でも、昔の世の中はもうちょっとルーズで田畑の面積は自己申告。

つまり、ウソをついて実際の面積より少なめに報告します。

 

そうすると、年貢の納める量が少なくて済みます。

で、浮いた年貢でみんなヘソクリをするわけです。

農民も武士の大名も…内緒で。

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これに目を付けたのが豊臣秀吉です。

「今までは、物差しの長さとか升の大きさが全国でバラバラだったよね。

でも、これからのはみんなが不公平にならないように、物差しや升の大きさを統一しよう。

もちろん田畑の面積も、統一した尺度で測りましょうね」

と、来たもんだ。

 

つまり、明朗会計で年貢を取りますよ…と言う話。

 

すると当然、陰で甘い汁を吸っていた奴らが反対します。

畑に入れないとか、検地に協力しないとか…

「人んちの畑に勝手に入るんじゃねぇ」

なんつって、刀に手をかけてる。

 

怖いんですよ。

ヘタをすると一揆に繋がる。

 

かと言って、検地の度に軍隊を動員するワケにもいかず…

ならば「せめて刀ぐらいは狩り取っておこう」

と言うのが刀狩なのでした。

 

 

まぁ、実際は刀を差し出しても1本ぐらいは家に隠し持っていた…というのが実情。

ただ「刀を持っていてはダメですよ」

という意識は、徐々に浸透していきましたけど。

 

これにより、刀狩令以降はだいぶスムーズに太閤検地が出来る様になりました。

 

この当時、都心部では室町時代から安土桃山時代と変わり、新しい文化が流行ったりしてますが、農村部ではまだまだ室町ムードが抜けきれません。

地方の田舎では、野武士みたいな農民がゴロゴロしている。

しかし、刀狩や太閤検地で新しい時代の幕開けが徐々に知らされるようになります。

 

それが、1588年の事でした。

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