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甲相駿三国同盟とは…
甲相駿三国同盟とは甲→甲斐(武田信玄)相→相模(北条氏康)駿→駿河(今川義元)
の三国が結んだ同盟関係。※三国の同盟って珍しい
この三国は、関東地域の看板大名互いに一目置くライバル同士の三国間協議です。
すごいメンツが揃ったものですね。
お寿司とカツ丼とハンバーグが、一緒に食卓に並んでる感じ。
夢の競演ですよ。
と言ってもこの人達、仲良し3人グループってワケじゃ無いです。
「せめて、お互いこれ以上ケンカしないようにしましょ」という内容でした。
そしてこの同盟は、たいして長続きしませんでした。
当然かも…。
そんなに大人しい人達じゃないんで。
それよりも、この3人が同時に手を結んだという事実が素敵。
杉良太郎と松方弘樹と北王子欣哉が競演しているようなものです。
豪華な顔ぶれ。
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なぜ三国が同盟を組んだのか?
この3者は仲良しじゃ無いけれど、一時は同時に手を組みました。
互いに敵にすると厄介なんです。
お隣同士で、しかも強敵。
気を付けないとすぐ後ろから襲ってくる。
だから、お互いを気にしていると領地をこれ以上広げられない。
それならば、この三国間だけは争わないで
他所の勢力と戦った方がまだマシだよね?
と言う訳で結んだ同盟でした。
この頃、武田は上杉と戦い、北条は千葉県や茨城県に進出したい(上杉とも仲悪い)、今川は織田と争っていました。
皆それぞれに忙しい状況だったので、甲相駿だけでもケンカしないというのはお互いに都合が良かったのです。
そこで三国同盟を組みます。
とりあえず、今川義元が桶狭間で信長に討たれるまでは順調でした。
同盟を破ったのは信玄
さて、三国同盟をぶち壊した犯人は!
武田信玄でした。
同盟中、信玄はしばらく謙信や長野氏と戦っていたのですが、こちらも一段落ついてほっとしていると…なんと、今川義元が織田信長に襲撃されて討死(桶狭間です)。
さらに、今川の家臣であった徳川家康が独立。
しかも、今川を継いだ今川氏真(うじざね)はめっちゃ弱いと聞いている。
これはもう「信玄さん、私を食べて下さい」って言っている様なものです。
そこで信玄は同盟を蹴っ飛ばして、家康といっしょに駿河侵攻(1568年)。
攻めた場所は家康と山分け。
信玄が攻め入ったおかげで、今川にお嫁に行った北条の娘さん(早川殿)はお城から歩いて逃げ出す始末。
これには親父さんの北条氏康も怒りましたよ。
「オレの娘に何やらせんだ!もう、信玄なんか信用出来ねーぞ」ってな具合で。
こうして、甲相駿三国同盟は崩壊していきます。
ちなみに、三国同盟の言い出しっぺは今川氏です。
同盟当初はこんな結末がやって来るなんて、考えてもみなかったでしょうね。