9代目の足利将軍は誰にするか?で揉めに揉めた応仁の乱。
京都は焼け野原となり、全国の大名を引きずり込んで西も東も大騒ぎ。
そんな苦労の末に決まった将軍は「足利義尚」。
けれどもそいつは、期待外れのドラ息子。
一応、将軍としての気概は持っていましたが、ちょっとポイントがずれている。
今日は、そんな義尚の紹介です。
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おぼっちゃま将軍
足利義尚(よしひさ)は室町幕府の9代目の将軍。
応仁の乱で将軍の座を争った義尚はわずか9歳(!)で将軍に就任します。
大人なった義尚は、落ち目だった幕府の権力回復に努めますが、やりすぎて戦の最中に体調を崩して死亡。
幕府再興のために命を燃やし尽くした若き将軍・・!?
いいえ。
それは手柄を焦って、勝手に自滅したトホホ…な将軍でした。
「そんなヤツに将軍なんか任せていいのかよ??」
う〜ん、あんまり良くはないんですけれど、「いないよりはマシ…」ぐらいのお飾り将軍でしだから、仕方が無いか。
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足利義尚(あしかがよしひさ) プロフィール
職業
室町9第目征夷大将軍。
父親
室町8代目将軍、足利義政。
あの「銀閣寺」をつくった人です。
将軍というより文化人みたいな人。
早く将軍を辞めたくて、それが元で応仁の乱の切っ掛けを作ってしまった。
母親
日野富子。
日本3大悪女の一人。 (他2名 北条政子、淀殿)
口うるさい、気が強い、がめつい、過干渉。
名門日野家の出身の女性だが、誰もが嫁さんにしたく「ない」タイプ。
誕生日
1465年、11月23日。
とり年、射手座。
趣味
文学。
和歌が得意。
和歌集をプロデュースする位ですから、かなりのマニア。
「常徳院集」などを手がける。
文学は、なかなか良いセンスをしていたらしい。
そんな事より、本業やれよって感じなんですが…
性格
基本的には、おおらかなおぼっちゃま型。
父さん(文化系将軍)とは違って一応、文武両道も志す。
ただ、時々武士のプライドが強過ぎて面倒くさい事がある。
(→ コレが元で墓穴を掘ります)
日常ではフレンドリーな人なんですが、、、
習性
夜行性、のんべえ、プレイボーイ、イケメン(美少年系)。
陣中でも宴会を開く。
※少なくとも「くそまじめ」なタイプでは無い。
死因
脳溢血。
25歳の若さでした。
不健康な生活がたたった、との説あり。
応仁の乱
西軍(義尚)、東軍(足利義視→義政父さんの弟)に別れて次期将軍の座を争う。
応仁の乱は日本全国を巻き込んだ大乱ではあるが、乱の当初、義尚はまだお母さんのお腹の中。
明らかに戦っていません、義尚は。
大人の都合で将軍候補に祭り上げられていました。
…で、将軍に就任したのもまだ9歳の時。
「将軍、頑張ってね」と言われても、まだピンと来ないですよね。
まだ、小学3年生ですから。
しばらくは、お父さんの足利義政が将軍業を手伝ってくれました。
功績
和歌集をつくりました。
「多田院廟前詠五十首和歌」とか。
他はとくにナシ。
◯◯国を平定しましたとか、〜の法を制定しましたとかそういう事はやっていません。
六角氏の討伐ではいいところまで行ったのですが、陣中で死亡ですから、お手柄というには今一歩足りない。
最期の戦
義尚が23歳の時に、幕府を再興するチャンスが巡ってきました!
守護大名の六角氏がお寺や神社の領地にズカズカ入り込んで、人々に迷惑をかけていたのです。(他の大名も時々コレをやりますが…)
そこで、義尚は周囲の大名に呼びかけて、六角氏を成敗することにします。
これは、諸大名が将軍の意見に賛同して従う、という事を意味します。
いいよね、みんなが将軍様について行ってるみたいで。
…で大名とか家臣を集めて幕府軍を結成して、悪の六角高頼(たかより)を討伐します。
すると、攻め込んだら六角氏はバラバラになって、山の中に逃げて行きます。
そこで「よっしゃ、六角討伐完了!さ、帰りましょ」
で終わればですね…めでたし、めでたし将軍バンザイ!!だったのですが( ^ω^)・・・
義尚は「大将の首を取るまでは帰らない」と、さらに戦を長引かせます。
(※富子ママの顔を見たく無かった、と言う説もあり)
これが不幸の始まり。
そりゃ、敵の首級持って帰れば絵になりますよ。
でも、そこまでしなくったていい。
領地を取り戻せばOKなんですから。
そして、義尚が無駄に戦を長引かせたおかげで戦は六角氏にゲリラ戦に持ち込まれ、いつまでも終わらず苦戦する。
そして、一年以上の月日が経ち義尚は陣中で体を壊して…死亡。
もちろん、先輩武将もアドバイスしましたよ
「我々は勝ったんです。一旦、キリの良い所で引き上げましょう」と。
しかし、義尚は聞く耳持たず。
まったく、もう…付き合い切れんわ!
戦国時代の幕開け
ちなみに、将軍には「申し継ぎ衆」という秘書がつきます。
…で、この義尚の申し継ぎ衆を務めていたのが、あの「北条早雲」。
バリバリの下克上人間の目には足利義尚という人物は、どの様に映っていた事でしょうか。
(アホに見えたかも?)
それはともかく、この辺りから時代は本格的な戦国時代に突入していきます。
おまけ・応仁の乱あらすじ
足利義尚の事を検索するぐらいの人だったら、応仁の乱の事は分かっていると思いますが…一応確認のために、応仁の乱までのあらすじを載せておきます。
忘れちゃった人は、これを見て思い出してくださいね。
将軍を暗殺
6代目の室町将軍に、足利義教という人がいました。
義教は激烈に頭が良く、気合いもガンガンに入った高性能将軍。
目指すは、室町幕府のさらなる権威向上。
そこで、諸大名に色々口出しして、力を奪う&支配力を高める。
ところが、そのやり方は強引かつ暴力的。
義教の前では、みんなガクガクブルブルでした。
そこで、ついたあだ名は「万人恐怖」。
そんなある日、義教の次の標的とされた、赤松家のオヤジさん『赤松満祐』がブチ切れます。
満祐は「やられる前にやっちまえ」とばかりに、将軍義教をおびき出して暗殺。
これにて、恐怖の時代が終わります。
「いや~スッキリした」と言いたい所ですが…
このタイミングで、今まで幕府を支えてきた重臣たちまでも次々と亡くなり、幕府のまとめていたタガがおもいっきり外れてしまいます。
波乱の幕開けの予感…
細川氏と山名氏
室町幕府には、幕府の活動を支える「三管領」と「四識」というお偉い役職があります。
これには、将軍家の次に偉いくらいの有力な大名たちが就任するんでんすね。
で、この三管領と四識の中で異変が起こるのです。
まず、三管領では管領家の2家(斯波氏、畠山氏)が後継ぎ問題をこじらして、細川氏に頼ってお家を存続します。
よって、斯波氏と畠山氏は細川氏に頭が上がらない状態。
つまり、3家の中で細川だけがめっちゃパワーアップしてしまいます。
そして、四識の方では山名氏がパワーアップ。
これは普段からの努力と、反逆者『赤松満祐』を討ち落とした功績によるもの。
こうして、細川氏と山名氏は新時代の2大勢力として、一気に台頭して来ます。
さらに、山名氏は反細川の勢力と結びついている…と、くりゃケンカになるのは時間の問題。
(で、実際に大バトルへと発展していきます)
足利義政の葛藤
足利義教が暗殺された後、7代目の将軍には嫡男の義勝が就任しました。
しかし、1年もしないうちに馬から落ちて死亡。
で、次に就任したのが、銀閣寺でお馴染みの足利義政。
義政は一応将軍様なんですげど、脳みその構造が文化人。
政治家ではなくて…(これが問題)
さらに、義政の周りには野心満々の奥さん、側室、側近などが政治にガミガミ口を出してくる。
だから、義政などはまるで子供扱いです。
義政と言えども、それなりに将軍教育は受けているし、やる気もなくはない。
ただ、根本的に向いていない人が将軍をやると、弱っちい将軍になってしまう。
義政は将軍職をやってると、強いストレス感じていたようです。
そこで、弟の足利義視(よしみ)に将軍の代打を頼みました。
「義視たのむっ、オレの代わりに将軍をやってくれ」
「兄ちゃん、いきなり変な事言うなよ…絶対にムリだって、ムリムリ」
「一生のお願いだから!オレ、絶対に将軍向いてないから!」
「そこまで言うなら・・・分かったよ、やってやるよ」
嫌がる義視に無理やり押し付けて、自分は将軍を引退しようと目論みます。
誰を将軍にするか?
本来なら、将軍の後継ぎは長男もしくは息子が相応しいのです。
でも、義政の息子が早くに死んでしまったので、弟の義視に将軍を頼みました。
これには、管領家の細川氏も了承しています。
「分かりました。われわれ細川も、義視様のために尽力させていただきます」と。
ところが、そんな矢先に義政の奥さん(日野富子)が男子を出産!
これが、後の足利義尚であります。
富子は人並外れた強欲女なので、絶対に自分の息子を将軍にしたい。
でも、次期将軍は義視でほぼ確定。
でもでも、我が息子義尚を将軍にしたい…
「義視=新将軍」路線は、義政と細川でプッシュしていましたが、強欲な富子はこれに納得せず。
そこで、対抗策として山名氏のサポートを取り付けて、義尚をねじ込もうとします。
もともと、細川氏と山名氏は火花バチバチ。
そこに将軍継承問題という油を注げば、嫌でも燃え上がります。
そしてこの争いを切っ掛けとして、細川氏や山名氏と結びついた大名や勢力が、複雑に入り乱れて戦ったのが応仁の乱でした。
事が大きくなる前に「トミコ、お前は少し黙ってろ」
と、義政が一言いえたなら良かったのですが…