武田四天王の一人で、「逃げ弾正」とも呼ばれた高坂昌信。
「逃げる」と聞くと弱っちい感じがしますけど、そんな事ないです。
強すぎて自滅した武田勝頼なんかより、よっぽど「したたか」。
だからこそ、信玄からの信頼が厚く長年、信濃北部の守りを任されていました。
(北信濃は背後に上杉がいる危険地帯)
もちろん、逃げてばかりじゃないです。
やる時はやります。
四天王ですから。
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高坂昌信の武功
昌信の武功を調べようと思ったのですが…これが、イマイチよく分からないんです。
ド派手な戦をするタイプじゃないんで、目立った記述が少ないんです。
そもそも理知的に戦う人なんで、危なっかしい伝説のバトルみたいのがありません。
戦局を良く見定めてから攻めるので、勝っても負けても想定内なのです。
そして、次の一手も常に考えてある。
非常に手堅い武将でした…
川中島合戦の4回戦(一番熾烈だったやつ)では、キツツキ作戦の裏をかかれて、武田軍は相当なピンチに陥りますが、昌信の気転により最悪の事態は免れました。
地味な役回りですけど、重要な存在なのです。
三方ヶ原の戦いの戦いでは家康を叩き潰すより「京都に進出する方が先だ」と言う考えを示しています。
あと、昌信は長篠の合戦には参戦していません。
そもそも、長篠で戦えたのは昌信がしっかり北方を守っていたからであって、上杉の脅威に怯えていたら上洛どころの騒ぎじゃ無いですから。
武田軍が長篠の合戦でボロ負けしてからは、上杉家がじりじりと攻め込もうとしますが北方は昌信が守っていますからね、上杉の好きな様にはさせません。
さすが、信玄が信頼して任せただけの事はあります。
攻める戦は華々しいのですが、「守る」とか「逃げる」となると地味な印象ですよね?
(重要な戦略なんですが…)
しかしそれが、昌信の持ち味なのでした。
で、これが同盟関係を誰と結ぶか?とか、契約内容をどんなふうにするか?なんて話になると
さらに分かりづらい。
でも、これだって戦と同じです。
ドンパチやらないから見た目では分からないですけど、どこを攻めようか、何を負けようかと言うのは互いの戦略や力関係が試される所ですから。
長篠の合戦以降、武田家は北条と手を組みます。
これだって、昌信がさんざん駆けずり回って実現させた戦略です。
これで、武田家の寿命も少しは伸びたかも知れません。
しかし、その一方で勝頼が上杉との同盟を進めようとしている。。。
そして、昌信は「上杉と北条は仲悪いんだけど、、ヤバくないか?」と心配しながら死んでいきました。
享年52歳。
昌信の死後、上杉と手を組んだ武田は、北条との関係を悪化させて、同盟はオジャンになりました。
これが、じわじわと勝頼の首を絞めていく結果となります。
(北条と徳川の挟み撃ち状態…)
昌信は勝頼の言動に不安を感じて、度々小言を言ったのもですが…その真意は本人には届かず。
そうして、武田家は高坂昌信の予言した通り滅亡するに至りました。
昌信の遺志を継ぐ者があれば、武田家の運命はもう少し変わっていたかも知れません。
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まとめ
「逃げ弾上」と呼ばれた高坂昌信は、他の四天王に比べて若干地味なイメージがあります。
しかし、それは手堅く賢く戦う、昌信の強みでもありました。
信玄からの信頼も厚く、上杉と隣接する危険地帯の海津城を任せてこれたのは、昌信のしたたかな実力があってこそ。
勝つ事だけが戦じゃない。
手堅く勝って、賢く負けて、時に手を結び、必要があれば適時にに裏切る。
逃げる戦だって、頭を使うし勇気も必要。
ヘタに逃げたら、後ろから串刺しにされますからね…。