山中鹿之助と言えば、あの名言「我に七難八苦を与え給え」という言葉を残した武将。
ところがあの名言には、もうちょっと庶民的な願いが込められていました。
七難八苦を…なんて言われると、いかにも鹿之助が孤高の哲人みたいな感じがしますが、実はそういう意味では無いんですって。
でも昔の国語の教科書に載ってたくらいだから、みんな信じちゃいますよね?
日本人の常識!みたいな感じで。
今日は、そんな七難八苦の話や、鹿之助の有名なエピソードを紹介します。
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「七難八苦」の真実
今どきは見かけませんが、戦前の国語の教科書には山中鹿之助の忠義談が載っていました。
鹿之助が仕える主家、尼子氏の再興を願って「願わくば、我に七難八苦を与えた給え」
と祈るお話が。
このセリフ、マンガとか雑誌で時々見かけますが、もともとは国語の教科書のネタだったんですね!
いやぁ、何とも昔の教科書は粋でした。
きっと、鹿之助の話を聞いた日、学校の子供たちはみんなでチャンバラごっこですよ。
防空頭巾を兜の変わりにして、気分は戦国武将!?
それはともかく・・・コトの真相について。
山中鹿之助は「七難八苦を…」ではなく
本当は「1か月以内に戦で武功を立てられますように」と願っていたようです。
(近世の書物の記載では)
そう聞くと、ちょっとフィーリングが違いますよね?
七難八苦では、いかにも「お家のためなら何でも我慢します…」
みたいな感じがしますが、1か月以内に戦で武功…だと何か人間臭くて、現実的。
しかし、これには鹿之助の切なる思いが込められていました…。
山中家は尼子氏の家臣だったのですが、お父さんは早くに死んでしまいます。
だから、山中のお家は貧乏な母子家庭。(かなりのド貧乏でした)
一応、鹿之助には兄ちゃんがいました。
だけど、その兄ちゃんは病弱であまり頼りにならず、おかげで次男の鹿之助が家督を継ぐ流れとなります。
こりゃ、大変です。
鹿之助が頑張って、家族のみんなを食わしていかにゃならんのですから。
しかも、家督を継いだ鹿之助は当時15歳。
もう、必死だったと思いますよ。
そこで鹿之助は、家督と一緒に譲り受けた山中家伝来の鎧兜に願いを込めます。
そして、兜の上にくっついてる三日月マーク(前立)に、このように祈りました。
「オラに、一ヶ月以内にを武功を立てさせて下さい、絶対に…」と。
(母ちゃんを楽にしてやたいのです、武功を立ててボーナスを稼ぎたい!)
すると鹿之助は、願った通りに武功を勝ち取って来ました。
しかも、山名氏の豪将菊池音八と一騎打ちしての勝利。
いやぁ、実に見事な初陣です。
(きっと、鹿之助はメッチャ嬉しかった事でしょう。ボーナスがバーンと入りますからね)
こうして鹿之助は、ますます三日月信仰を深めていきます。
これが、かの有名な七難八苦伝説の始まりだったのですね。
三日月に祈ると、戦に勝てそうな勇気が湧いて来る!鹿之助なのでした。
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鹿之助の武功を2つ紹介
さっき、鹿之助が初陣で勝利した話をしたので、ついでにあと2つ武勇伝を紹介します。
毛利に襲われた鹿之助
1562年の事、毛利軍が尼子氏の月山富田城を攻撃してきました。
その時、鹿之助は月山富田城周辺の民宿に滞在していたのですが、そこにも毛利の兵が押し寄せて来ます。
すると鹿之助は、民宿を襲った毛利の兵十数人を相手にして…
全員をボコボコにやっつけてやりました。
すると鹿之助は、毛利の兵を退治したのでお腹が減ったんですね。
そして民宿のおばちゃんにご飯を作ってもらい…美味しく頂きます。
ご飯を食べ終わると鹿之助は、何事もなかったかのように月山富田城に帰って行きました。
…大バトルをした後に、平然と飯なんか食えるのでしょうか?
気が立って、それどころじゃない様な気がしますが。
鹿之助って人は、全くいい根性してますね。
狼と戦う鹿之助
1565年、品川大膳(たいぜん)のと戦い。
大膳は岩見国の武将で、屈強の豪兵でした。
プロレスラーみたいな体格で、もの凄い怪力。
顔は黒くて、全身毛がむくじゃら。
まるで、熊がゴリラのようです。
大膳は戦はメッチャ強いんですが、有名武将を討ち取った事が無いのが悩み。
そこで、山中鹿之助みたいなビッグネームをやっつければ、自分のステイタスも上がるだろうと考えます。
そして、自分の名前を「棫木 狼之介・たらきおおかみのすけ」と変え、鹿之助との対戦に備えます。
(鹿が棫の目を食うと角が落ちて、そこを狼が鹿をガブッとやるのだ、という意味…)
そんなある日、2人やようやく対戦の日を迎えました。
始めは互いに刀で斬り合っていましたが、そのうちに刀を捨て取っ組み合いのバトルになりました。
こうなると大膳(おおかみのすけ)の方がたぶん有利。
鹿之助も体格は良いんですが、プロレスラーみたいにデカいワケじゃない。
(諸説あります)
しかも大膳は、アホみたいに腕力が強い。
ウワサでは素手で生イノシシの首を引きちぎるという話。
この時ばかりは、かなりヤバい鹿之助。
ところが、組み合っている途中で鹿之助の腰に差した刀が大膳の横っ腹に刺さります。
これで形勢が逆転して、鹿之助は大膳をコテンパンにやっつけてやりました。
この時、鹿之助は「ウリャー、岩見から来た狼を鹿が討ち取ってやったぞー!」
と叫んだそうです。
鹿之助は逆境で燃える性格。
だからこそ「七難八苦」のセリフが似合うのかも知れませんね。
まとめ
「願わくば、我に七難八苦を与え給え」と祈った山中鹿之助のイメージは、実は戦前の教科書のネタで、本当は「1か月以内に武功を挙げたい」と言う内容でした。
しかしそれは、逆境を跳ね返す鹿之助の精神の強さを表現する言葉でもあり、ある意味言い得て妙なセリフだったのです。