戦国史上1、2位を争う、凄惨な戦となった「三木合戦」。
秀吉+半兵衛による容赦ない兵糧攻めは、城内を地獄のどん底に突き落としました。
やがて、三木城の主「別所長治」は自分や家族の命と引き換えに、家臣らの助命を嘆願します。
しかし…戦の有り様は、悲惨過ぎて言葉がありません( ゚Д゚)
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別所のプライドを賭けて、織田から毛利へ
別所家は、名門赤松家の流れを汲む播磨の有力大名(40万石)。
織田家には早くから仕え、信長からの信頼も厚く受けていました。
ところが別所長治は、次第に織田家への違和感を感じるようになります。
信長が、比叡山を焼いたり、人民を虐殺したり、意味の分からん理由で家臣を追放するので。
さらに、毛利攻めの時には秀吉に従って、先鋒を務めるように命じられると…もう、理解の範疇を越えます。
「秀吉って、あの百姓上がり秀吉でしょ?そんなヤツの下で働くなんて別所の名が廃る。バカにすんなよ。もう織田家は懲り懲りだ!」
とばかりに、織田から毛利に鞍替えして、逆に刃向かって来ました。
(個人的に、秀吉と性格が合わなかったのもあるんですが…)
織田家としては、京都から西に向かって侵攻を進めていたのに、播磨(兵庫県)でジャマされたら、今までの計画がオジャンになってしまいます。
こりゃ、困ったぞ…。
しかも、別所家はかなりの強敵。
何としても、ここは別所を潰しておかねばなりません。
そこで、三木合戦(1578年)が始まります。
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三木城を取り囲め!
城攻めのプロ、秀吉
別所攻略を仰せつかった秀吉は、別所家の拠点である三木城を取り囲みます。
秀吉軍2万に対し、別所軍は8千の勢力。
数字だけ見ると8千より2万の方がよっぽど強そうにに見えますが、籠城戦ですからね…
この場合、別所のほうが有利なんです。
(城を落とすってスゴイ大変。攻めてもガードが堅いから疲れるだけです)
普通に戦ったら、三木城のディフェンスに弾き飛ばされてオシマイ。
しかし…三木合戦に限っては、秀吉が攻めてくる。
っていうか、秀吉は城攻めが大好物。
さらに竹中半兵衛という、スペシャル軍師付き。
果たして、どんな手法で攻め込んで来るのでしょうか?
完全孤立の三木城
開戦当初は、秀吉もかなり苦戦していました。
三木城の周りには支城がいくつもあるし、毛利軍がチクチク攻撃してくるので、結構ヤバかったんです。
しかし、少しずつ形勢を整えていって三木城を孤立させました。
三木城には沢山の兵が詰めているので、ヘタに手出しをすると跳ね返えされる…
ならば、兵糧攻めで行くのがベター。
三木城には兵力がある分、飯を絶てば確実に干上がって来るだろうと言う計算です。
で、秀吉は三木城の周りをグリングリンに包囲を固めました。
城の周りに砦を作って、堀を掘って、柵で囲って、杭をガンガン打ち込んで、500%孤立させます。
「う~ん、コイツは困ったぞ…」悩む長治。
城から出て戦うと、秀吉軍が待ち構えている。
城に籠っていても、毛利の援軍は届かない(秀吉にジャマされるから)。
もう、どうにもならない別所軍…
秀吉は三木城を囲みつつ、別所長治に使いを送ります。
「どうせ負けるから、そろそろ降参した方がいいんじゃないですか?」と。
でも、なかなか諦めてくれない。
そんな日々が、1年過ぎ2年過ぎると…もう大変ですよ、お城の中は。
支援物資が来ないから、みんな腹ペコ。
お米なんかとっくの昔に食いつぶし、草を食ったり、木の根を食ったり。
馬は食べるし、鼠も食べる、トカゲも食べる、もちろんカエルも。
でも、その位だったらまだマシかも…
飢餓も極限に来ると、人間はとんでもないものにも手を出しますから。
(後はご想像にお任せします…)
三木城陥落
兵糧攻めが始まって3年目に突入した1580年1月。
ついに、秀吉軍が総攻撃を仕掛けてきました。
もう、おしまいです。
いくら堅牢な三木城でも、兵士達に戦う力が無ければ守る術がありません。
ご飯を食べてないから、体力が落ちて動けませんよ。
そして、ついに降参。
別所長治は、自分の首と引き換えに家臣の命を救ってくれ、、と頼みます。
「今はただ恨みもあらずもろ人の、命に代わる我が身と思えば」
(家臣の命に代わると思えば、自分が死ぬ事など恨んだりしない)
立派ですよね、腹の据わった侍はいう事が違います。
ただ、これはあまり書きたくないんですけど、長治が首を差し出すって、長治だけの問題じゃ無いんです。
長治は、まず3歳の自分の子供の首をはね、次に奥さんの首をはね、それからやっと、自分の切腹。
しかも、自分の弟も道連れにして…
戦国時代って、厳しい世界。
また、大将の責任も重い。
家族も辛いよ。
こうして、地獄の三木合戦は3年間の月日をかけて、幕を閉じます。
次は因幡鳥取城
その翌年には、因幡鳥取城が秀吉による兵糧攻めに遭います。
すると、城主の吉川経家は同じように家臣の助命と引き換えに切腹をしています。
ちなみに…因幡鳥取城の方はもっと凄惨でした。
まとめ
織田家の傘下に在った播磨の名門別所家。
しかし、信長の方針に納得できず織田家を離れて行きます。
そして、毛利側に就き三木城では秀吉と対決。
秀吉のとった作戦は、鬼の様に徹底した兵糧攻め。
兵糧を絶たれた別所軍は、根こそぎ体力を奪われ降参。
三木城の城主別所長治は自分の首と引き換えに、家臣の助命を嘆願しました。