吉川経家【鳥取城】悪夢の籠城戦vs秀吉(1581年)

秀吉と戦う為に、鳥取城にやって来た吉川経家(つねいえ)。

 

5吉川経家

 

経家は籠城戦で対抗しますが、後でとんでもない目に遭います。

それは、地獄の籠城戦…

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吉川経家

吉川経家は毛利系の武将。

石見国(島根県)出身。

1547年生まれなので、黒田官兵衛と同世代です。

 

名前は吉川ですが、血は繋がっていません。

経家の父さんの代で、吉川の分家に養子に入ったため吉川姓となりました。

(本家から見ると、ちょっと遠いかなぁ?)

 

でも、家臣の中では重臣クラスなので石見国(島根県)に自分のお城を持っています。

ただ、領地のからの収入が少なくて、金持ちではありませんでした。

 

経家は文武に秀でた武将でまた男っぷりが良く、秀吉がベタ褒めするくらいの人物。

戦の責任を取って切腹で最期を遂げたのですが、敵方にも経家の死を惜しむ声が上がったそうです。

 

2吉川経家

 

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鳥取城籠城戦

 

吉川経家の登場

1581年、織田家の軍勢は毛利討伐を目指して因幡国(鳥取県)まで攻め込んで来ました。

軍を率いるのは羽柴秀吉

 

豊臣秀吉11

 

まず、狙われたのは毛利系の家臣、山名豊国が所持する鳥取城。

 

しかし、国豊は鳥取周辺の支城が次々と落とされていく戦況を鑑みて

「こりゃ、絶対に敵わん」

と判断し、早々に降伏するつもりでいました。

 

これを見た国豊の家臣森下道誉中村春続は「こんなヘナチョコ城主じゃ使い物にならん」

国豊を追い出してしまう。

 

そして、吉川本家(春元)に連絡してもっとマシな城主を連れて来るように言います。

 

そこにやって来たのが、勇敢なる武将吉川経家だったのです。

代打の切り札、経家。

 

実は経家の吉川家はお金が無かったので、本家の方に「所領をもっとくれー」とよく訴えていました。

 

そこで「鳥取城で頑張ったら、増やしてあげるね」と言う事で経家が登場したのです。

鳥取城の家臣達も「ちゃんとした大将が来て良かった~」喜んでいました。

 

しかし、それは軽い判断じゃないです。

 

厳しい戦況の中に飛び込むのですから、基本的には死ぬ覚悟は必要です。

それでも、経家は決断しました。

 

 

 

籠城戦に挑む

野戦では、秀吉軍に敵わないので(兵力が全然違う 4千vs2万)、籠城戦で対抗する経家。

戦に備えて城の周りを守りで固めますが…ちょっと兵糧が不足ぎみ。

 

噂では黒田官兵衛が差し向けた商人が、鳥取城の兵糧米を倍の値段買い上げたとの話。

(噂ですよ、異説もあります)

黒田官兵衛

 

 

さらに、城下にある民家を放火して、住民を鳥取城に逃げ込ませます。

これで、食い扶持がどんどん減っていく…

 

そして、ついに秀吉の軍勢が鳥取城に襲い掛かります。

 

と言っても、みんなでワーッて攻め込むんじゃなくて城の周りをぐりんぐりんに包囲した。

戦うよりも、救援を断ち切る作戦です。

 

3吉川経家

 

もちろん吉川の本部からは援軍が来たり、食料を届けようとしましたが、陸も海も封鎖されて鳥取城に辿り着けない。

 

すると、1カ月が経過すると兵糧は底をつき…

2カ月目には城内の馬とか、鼠、カエル、草の根っこ、木の皮等を食べで飢えをしのぎ

3カ月目には餓死者が続出。

 

餓死者が出ると、餓死者を食べます。

 

人間は追い詰められると、ここまでやります。

しかし、それは鳥取城に限った話ではありません。

【三木城】すっごい悲惨な地獄の兵糧攻め!

 

中には城を脱走して、秀吉軍に助けを求める者まで現れる始末。

(これでは、敵味方があべこべ…)

 

もう、これ以上は無理。

ついに、経家は降伏しました。

 

1吉川経家

 

哀れなる義士

城を開いた経家は、自分の首と引き換えに家臣達の命を救ってほしいと嘆願します。

 

ところが、秀吉の判断では

「経家さんは後から代打で来ただけなので、首は切らなくていい。

 問題なのは俺たちに刃向かってきた森下道誉中村春続です。

 だから、この二人の首は切ってほしい」

とのこと。

 

しかし、経家は

「いいえ、それでは大将として責任を全うした事にはなりません。

首を切るのはまず、この私からでしょう…」

 

この一言が言えるのが侍です。

秀吉も「コイツは見上げた男だな」と感服します。

(秀吉はこういう武将が大好きなんです)

 

で、秀吉は信長と相談して経家道誉春続の3人首をもらう事にしました。

経家の首はその後、安土に送られ信長がきちんと葬ってくれたそうです。

 

いや、それどころか今現在でも経家の義勇は忘れ去られる事はなく、鳥取城の前には吉川経家の銅像が立っています。

 

吉川経家

 

金ぴかのミーハーなオブジェじゃなくて、青さびを纏ったシブい銅像です。

鳥取城をお立ち寄りの際には、ぜひ経家の前で胸をジーンとさせて下さい。

 

 

 

まとめ

毛利系家臣の勇敢な侍、吉川経家。

経家は山名豊国の後釜として鳥取城にやって来ます。

そして、秀吉との籠城戦。

過酷な兵糧攻めを食らった末に、経家は秀吉に降伏します。

しかし、義心を貫いた経家の侍魂に秀吉は心底感服しました。

経家の義勇は400年経った現代でも、今もって語り継がれています。

 

 

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