李舜臣【朝鮮の猛将】水軍:文禄の役と慶長の役

李舜臣は、朝鮮出兵の時に戦った朝鮮の勇猛な武将

歴史的な評価はま確立しきれていませんが、朝鮮の猛将と言えば「李舜臣」です。

日本の武将も海上戦では、李舜臣には散々苦しめられました…。

たまには、朝鮮側の武将も紹介しなきゃね。

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李舜臣 朝鮮の英雄

「秀吉は100年の敵である」と言われるほど、朝鮮の人々にいや~な思いをさせた朝鮮出兵(文禄・慶長の役)。

 

李舜臣は、これら戦いから朝鮮を救った正義のヒーロー。

水軍の将である李舜臣の銅像は海岸部にいくつも建てられて、今でも韓国の人々に親しまれています。

 

全戦全勝の激強武将

23戦23勝。

 

玉裏(おくぽ)、赤珍浦(おくじんぼ)の戦いでは日本軍船を40艇破り、唐項浦(たんはんぽ)の戦いでは60艇沈め、釜山浦の開戦では100の軍船を・・・(まだまだ続く)

どこへ行っても向かう所敵なしの李舜臣!

鉄の堅い甲羅で覆われた竜頭の戦艦が、日本の船をガンガン沈めて行く…。

 

だけど、、史実を良く調べてみるとイマイチ確証が取れないんですね (;´д`)

でも、いいんですそんな細かいこと。

気にしない、気にしない。

 

李舜臣は安重根と並ぶ正義のヒーローなんで、ヤボなこと言っちゃダメです。

銅像の時代考証が…とか、鉄甲船の実在は…なんてマニアックな突っ込みは専門家に任せておけば良い。

つまらん正論を振りかざして知ったかぶっているようでは、李舜臣の魅力に触れる事は出来ません。

 

いいんです、それで。

ウルトラマン見て「本当は、こんなヤツいないんだよ」なんていう人いませんでしょ?

 

李舜臣は朝鮮のスーパーヒーローですから、日本人的な思考回路で考えると魅力が半減してします。

ですから、李舜臣と聞いたら「朝鮮のスーパーマン」ぐらいに思っておいてください。

 

 

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荒肝の若き李舜臣

当時の朝鮮では、武将になるためには「科挙」と言う試験に合格しなければなりなせんでた。

で、李舜臣は23歳の時に武官を志し、28歳で科挙を受験。

(5年も勉強したんですね)

 

ちなみに、馬術のテストの時に馬から落ちて左足を骨折して、こりゃもうダメかなぁ?

と思ったら、すぐさま近くにあった柳の枝を折ってギプスにして、再度馬にまたがったと言うエピソードがあります。

(いやぁ、マジっすか??)

 

普通の人だったら、激痛で身動き取れなくなるのにやっぱ、伝説の英雄は違いますね…。

 

それで、テストの方は…?

不合格 ( ;∀;)

 

その後、またそれでテストを受け直して、やっと合格したのは32才の時。

よく頑張りましたね。

途中で挫けず、鉄のような志を貫きした通したのです。

 

 

挫折の連続

やっと、武官のテストに受かった李舜臣は、とりあえず地方の国境警備にまわされます。

 

それから3年経ち、水軍の部隊長のに就任。

しかし…上司に嫌われてクビになります。

 

で、今度は女真族と戦う為に呼び戻されますが、またもや上司に恵めれず平社員に降格

すっかり落ち込んだ李舜臣は、実家に帰ってニート暮らし…。

 

それから、1年半ほど引きこもった後復職します。

次の任務は、地方の行政長官

 

だけど、仕事がつまんない。

李舜臣に、事務仕事は性に合わないんです。

 

ああ、武官になんかやらなきゃ良かったよ…。

 

 

恐怖の鉄甲船

心が腐りそうな、李舜臣。

しかし、運命的なチャンスが訪れます。

 

日本から豊臣秀吉が、今にも攻めて来そうな気配。

そこで、朝鮮としても守りを固める必要があり、李舜臣にもお声がかかりました。

 

水軍部長に任命された李舜臣は、戦に向け新しい戦艦の開発に着手します。

戦艦には長さ20メートル、幅5メートルの軍船は鉄の甲羅を被り甲羅の上には1200本のも鉄のトゲが立っている。

そして、船の先頭からは竜の頭がにょきっと出ているぞ!

とてつもなく強そうな軍船

 

いかにも、ヤバそうなオーラが漂っています。

こんなのが襲ってきたら、マジでビビりますよ。

 

ただ、惜しむらくはこの竜頭の鉄甲船、完成する前に秀吉軍が攻めて来ちゃった…。

(なんのこっちゃ!)

ちょっと残念。

 

 

水軍の将:文禄の役と慶長の役

1592年4月。

日本から、大船団を組んだ豊臣の水軍が押し寄せてきます。

余りの勢いに朝鮮軍はなす術もなく、日本軍の上陸を許してしまいます。

 

しかし、李俊臣が登場すると、日本軍をつぎつぎと撃破

宣祖王は、李舜臣の活躍を褒めたたえ、朝鮮水軍の全指揮を任せた。

 

日本軍は、李舜臣に海上の制権を奪われ、補給路もせん断され撤退をせざるを得なくなります。

 

そして、和平交渉にはいりますが…日本と明側の主張とかみ合わず、再び戦闘が開始されるのすが、ここでちょっと問題発生。

 

李舜臣がいない…。

とつぜん、クビになっちゃたんです。

 

と言うのは、海軍大将の座を狙う元均がうその証言をしてを罪人に仕立て上げ、李舜臣は牢屋にぶちこまれる。

(またかよ~)

 

しかし、元均が水軍の指揮を取ると、ボロボロに負ける朝鮮軍。

そこで、李舜臣が再登場。

 

1598年、8月。

秀吉の死により、日本軍はこっそり撤退を始めるましたが、李舜臣が情報を嗅ぎ付け露梁海峡で待ち伏せをしています。

撤退するタイミングでもう一度、日本軍を叩いておこうとしたのです。

 

李舜臣は太鼓をたたいて進軍の合図をおくります。

しかしその時、島津軍の放った銃弾李舜臣の胸部に命中

 

李舜臣は家臣に言いました。

「俺の死を敵に悟らせるな、今こそ勝負の分けれ目。みんな最後まで戦い抜くんだ…」

 

ああ…こんな事なら、豊臣の軍なんか放っておけば良かった??

哀れな李舜臣。

 

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