キリスト教宣教師が、予言した通りに現れた救世主「天草四郎」
四郎は数々の軌跡を起こし、キリシタン達の期待を一身に背負って、ついに立ち上がります。
これが、いわゆる「島原の乱」
ところが、四郎を待ち受けていた運命は…あまりにも悲劇的な最期でした。
今回は天草四郎の生い立ちや、島原の乱についてお送りします。
ちょっと、かわいそうな物語なんですが…
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奇跡のキリシタン
「今から25年後に16歳の少年が現れ、様々な奇跡を起こし雲は焼け、枯れ木に実がなり、天地は震え、白い旗が山を埋め尽くすだろう」
これは、キリシタン禁制により国内を追われたママコスという宣教師の予言です。
(天草で活動していた人です)
ん?枯れ木に実がなる??なんじゃそれ、、ワケがわかりません。
ノストラダムスの大予言かよって感じ…。
ところがですねぇ、、それが現れちゃったんですよ、奇跡の少年が。
少年の名は天草四郎。
(本名は益田四郎)
四郎の父さんは、キリシタン大名(小西行長)仕えていた元武将。
武将から足を洗って一般人になっていました。
お母さんもキリシタン。
そんなキリシタン一家の益田家が、天草郡大矢野村(熊本県)に引っ越してきました。
そこは隠れキリシタンが大勢いるので、住みやすいのではなかろうかとやってきたのです…。
そしてら、なんだか周りの大人たちが四郎のことを「予言に伝わる救世主だ!」
みたいな事を言い出したんです。
マジかよ?
四郎は海の上を歩いたり、神の言葉を説いたり、鳩の卵から経文を取り出したり、おまけに色白の美少年。
伝説のスターをやるにはピッタリのキャラだったんです。
きっと、救世主オーラもガンガン出ていた事でしょう。
で、救世主として登場したからには救世活動をしなければならないのです。
そしてちょうどその頃、天草や島原の地域の人々は救ってもらいたかった。
えらい目に遭っている最中だったので…。
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キリシタン狩り 地獄の様な…
島原の土地はキリシタン大名である有馬氏のエリアだったので、領民の皆さんもキリシタンをやっている人が多くいました。
で、キリスト教が禁止になった後でも隠れて信仰しているワケです。
しかし、領主が有馬氏から松倉氏の変わると、もの凄い徹底してキリシタンに弾圧をかけて来るんです。
いや、弾圧だけじゃないな。
重税を課したり、拷問をかけたり…。
いろんな意味で最低な領主だったのです。
(拷問⇒逆さ吊り、水牢、ミノ踊り«ミノを着せて火を着けると熱くて激しく悶える)
この状況は天草も同じで、非常な圧政に苦しんでいました。
それじゃ、誰だって救ってもらいていでしょう…キリシタンでなくても。
この地獄から抜け出したい…。
島原の乱
そしてついに、住民たちの怒りが爆発しました。
1637年、島原の乱の勃発です。
(最近は「島原・天草の乱」と言いますね)
乱の総大将を務めるのはもちろん、救世主「天草四郎」。
反乱軍の勢力は3万7千。
もの凄い数です。
この位集まったら、その辺の戦国大名なんかよりよっぽど強い。
信徒グループって結束が固いし、中には朝鮮出兵の経験者もいるでしょうからある程、度軍事指導も出来たでしょう。
市民団体のデモ行進のレベルじゃないです。
苛烈な一揆行動。
そして幕府は鎮圧軍を派遣しましたが、なかなか収まらない。
予想をはるかに超える強さ。
鎮圧軍を指揮する松平信綱は「智恵伊豆」と呼ばれるほどの知略家。
そこで、頭をしぼって巧妙な作戦を展開します。
その一つが「お母さんの手紙作戦」です。
天草四郎のお母さんに、降参を呼びかける手紙をかかせたのです。
これには四郎のお母さんも快くOKしてくれました。
ところが、四郎方に渡す前にお母さんの手紙を見たら「あんた、しっかりと戦うんだよ」
みたいな事が書いてある!
いやぁ、お母さんの方が一枚上手でしたね。
これに対し信綱は怒りますが…それは怒る方が間違っています。
敵ながら天晴れ、なのです。この場合。
自分の息子が戦やってて心配じゃない母親がどこにいるんですか?
葬式で悲しんでいる家族にインタビューするようなマネすんじゃねぇよ。
愚か者め。
結局、反乱軍は兵糧攻めを食らって鎮圧されますが
逆に言うと、兵糧を止めるまでしないと暴動が収まらなかったと言うことですね。
武力では勝てなかった…。
幕府軍は兵糧が無くなったところで、反乱軍の立てこもる原城に総攻撃をしかけ陥落させました。
この時、殺されたれた反乱軍の死者は2万人以上といわれています。
死に過ぎです。
これじゃ、戦じゃなくて虐殺行為です。
やめて下さい。
非常に後味の悪い島原の乱でした…。