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三矢の訓
毛利元就の有名なエピソードの一つとして「三矢の訓」(さんしのおしえ)と言うのがありますね。
有名過ぎて、小学生でも知ってるでしょう。
昔は、学校の教科書に載ってたくらいですから。
元就が臨終の間際で…
毛利元就が死ぬ間際に、息子たち3人を呼んで矢を渡しました。
そして、手でもって折らせます。「バキッ、バキッ、バキッ」っと。
簡単に折れちゃいます。
そこで、今度は3本でやらせてみました。
そしたら、誰も折ることが出来ない。
つまり、これは1本の矢では簡単に折れてしまうが
3本が束になると、メッチャ強くなるという事を表していました。
これにより、3兄弟の結束はさらに高まったと言う話。
(今さら説明するまでも無いか…)
史実と比較してみると…
しかし、このエピソードは後世の作り話だそうです。
なぜなら、元就が臨終の間際に臨んだのは1571年でして、この頃には長男の隆元は死んでます。(1563年、食中毒)
一本足りない…。
でも、それっぽいメッセージは子供たちに残しているんですね。
それは、1557年に隆元、元春(吉川)、隆景(小早川)に贈った三子教訓状のこと。
その内容の中に「おまえら3人が中悪くしてると、毛利は壊滅するぞ~」という一文があります。
これを参考にして、江戸時代に誰かが話を創作したんですね。(誰かって…ダレ?)
そして、伝説となった。
でも、いい話じゃないですか!
一度聴いたら、人に話したくなりますよね?
きっと、隆元が生きていれば元就のオヤジさんもやりたかったハズ。
枕元に息子たちを座らせて「いいか、お前たちに言っておきたい事がある…」なんつって、、
言い終わったら心の中で「よっしゃ、決まった!」ですよ?
ちなみに、毛利元就の息子は9人います。
娘さんの入れると、もう少し増えます…。
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三本の矢を紹介
ついでなので、三矢に例えられた毛利兄弟3人を軽く紹介します。
①毛利隆元
一番上の兄貴です。
政治家タイプで内政能力に長じています。
隆元は毛利家の組織基盤をつくりに尽力します。
食中毒で亡くなりますが、その時の元就の落ち込み様ったら…どん底でした。
隆元の息子は、関ヶ原で西軍の大将を張った毛利輝元。
②吉川元春
次男の元春。
戦の強い猛将です。
そんな猛将が地元の最強軍団、吉川家の養子に入ります。
更なるパワーアップです。
で、織田軍とガッツンガッツン戦いました。
③小早川隆景
三男の隆景。
水軍系の武将。
毛利輝元は、この隆景によって育てられます。
かなり厳しかったそうですよ。
戦国武将の「厳しい」って、そりゃ大変なものです。
ガツン!ってやりますから。
まとめ
一本の矢では簡単に折れてしまうが、三本が束になると格段に強くなる。
だから、皆で結束して力を高めていくんだ…と言う「三矢の教え」。
しかし、それは後世の作家による作り話でした。
ただ、似たようなエピソードは毛利家の記録にも残っています。
三本の矢は使っていなかったけれど…。