「火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」とは、徳川家家臣本多重次が奥さんに書いた手紙の言葉。
この重次、全国的には「お仙泣かすな…」の手紙で有名ですが、地元三河では「鬼の作左衛門!」
として恐れられていました。
三河の子供たちは「鬼左衛門が来るぞ」と聞くと、みんな震え上がったそうです…。
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火の用心、お仙泣かすな…の意味
長篠の戦いの最中、本多重次は家族の安否を気遣い妻に手紙を書きました。
「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」
これは「一筆書きます。私の留守中は火の取り扱いに注意して、お仙(重次の息子)を大事に養育
し、馬の飼育もしっかり頼みまよ」
という意味です。
大事な内容を、短くスッキリまとめた手紙として有名です。
(実際はもう少しだけ長いですが…)
日本人なら、誰でも一度は耳にした事があるんじゃないでしょうか?
家族を心配して戦場から手紙をよこすなんて、、重次は優しくて思いやりのあるパパ…。
なのかなぁ?とは思いますが、仕事場では鬼の様に怖かった!
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家康にも秀吉にも、一切媚びない鬼侍
家康に喝!
本多重次は徳川家康の爺ちゃんの代から仕えている、譜代の家臣。
忠誠心はもちろん高いのです。
でも、侍濃度が高すぎてちょっとウザい。(良い意味でですよ!)
こんな話があります。
ある日、家康は人を煮る( ゚Д゚) のに丁度いい大きさの窯を発見します。
そして、城に運ばせました。
これを見た重次は「なんじゃこれ?」
と周囲の人たちに事情を聴いたのです。
すると、重次はその大釜をボコボコの粉々にしてしまいます。
そして、こう言いました。
「これから天下取りを目指す武将には、人を煮殺しにする釜など必要ない。
そんな低劣なお仕置きしか思いつかない大将では、余りにもなさけない。
家康様に伝えておくように!大釜はこの重次が粉砕してやったと…」
(その報告を聞いた家康は、思わず「しまったー」という顔をしたそうです)
秀吉を放置
もうひとつ。
小牧長久手の戦いの後、秀吉は強引に家康を上洛させます(服従させる意味で)。
で、その代わりに秀吉は大政所(秀吉の母さん)を人質として差し出しました。
すると、重次は大政所のいる屋敷の周りに薪を積み上げました。
つまりこれは、入洛中に家康が殺されたら大政所を即座に焼きます、という意味です。
怒った秀吉は、お仙(重次の息子)を差し出せとか、岡崎城にツラ出せとかグダグダ言います。
すると、それを聞いた重次は…一切無視!
いやぁ、なんとも清々しい漢です。
お陰で重次は切腹を命じられましたが、、家康の執り成しでキャンセルになりました。
重次からしたら「なんのこっちゃ?」と思ったでしょうね…。
鬼左衛門の恐怖
重次の通称は作左衛門。
そして、鬼みたいに怖いので「鬼左衛門」とも呼ばれていました。
三河の領民たちは、所願があって重次の所へ行くと「不届きだ!」「だらしがない!」「首を刎ね
ぞ!」としょっちゅう怒鳴られていたそうです。
鬼のような顔で…。
めっちゃキビシイ人なんです。
重次は三河で民政を担当していたので、その厳しさは村中の人々に知れ渡っていました。
そこで三河の大人たちは、悪さをする子供を叱る時「鬼左衛門が来るぞ」と言ったそうです。
すると、みんなビビって大人たちの言う事を良く聞いたそうです。
面白いですね、、、