学生の頃、日本史の授業で習った「南蛮人」。
みなさん、何とな~く覚えているとは思います。
でも「南蛮人は何人である」とか「何をしに日本に来た」とか「どんな影響を及ぼしたか?」なんて事については、ちょっと…記憶も途切れ途切れ?
今回は、そんな半分忘れかけた南蛮人についてのお話。
一回読めばダーッと思い出しますよ、一度勉強している事ですからね。
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南蛮人ってどんな人?
南蛮人とは、戦国時代から江戸時代の初めの頃にやって来た、スペイン人やポルトガル人のこと。
だから、スペインやポルトガルの人が乗って来る船を「南蛮船」と呼びますし、南蛮人との貿易は「南蛮貿易」
と言います。
そして、南蛮人のもたらした文化が「南蛮文化」。
ちなみに、江戸時代に入ってから日本にきたイギリス人やオランダ人は「紅毛人(こうもうじん)」と呼びます。
髪の毛が赤かった(=茶髪)ので。
同じヨーロッパ系でも、分けて考えています。
南蛮って言うのは本来「南方」を指す言葉でしたが、スペインやポルトガルの文化や人物があまりにもインパクトが強くて、それ以来「南蛮=ヨーロッパ」的なイメージが定着してしまいます。
日本に来た南蛮人の第一号は、1543年に種子島に漂着したポルトガル人だと言われています。
名前は…アントニオなんとか(忘れちゃった)。
日本に初めて鉄砲をもたらした…と言うあの人です。
(中学の歴史の授業で習いましたよね)
南蛮人で一番有名な人は、みなさんご存知のフランシスコザビエル。
頭のてっぺんがハゲてるあの人です。
ザビエルはスペイン人の宣教師。
ザビエルの登場で日本にキリスト教がバーッと広まりましたが、一方で宣教師風のインチキ臭い連中が入り込んで来る、という悲しい事態も招きました。
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南蛮貿易
次は、南蛮貿易について。
ヨーロッパで大航海時代が始まって以来、日本にもガンガン南蛮人が来るようになります。
ヨーロッパを出発してアフリカを回って、インド→中国→日本みたいなルートでやって来るんですね。
すんごい、遠いです。
で、わざわざ何しに日本に来るかと言うと…貿易なんです。
ホントは日本を植民地にしたいな~って思ってたんでしょうけど、そうは行きませんでした。
あいにく当時の日本は、ゴリゴリの戦国時代真っ最中。
まるで、鬼ヶ島みたいな状態。
だから、南蛮人に入り込む余地などありません。
その代わり、戦をやってるおかげで鉄砲や火薬や大砲などは沢山売れました。
(大友宗麟は南蛮渡来の大砲に「国崩し」と言う名を付けました。強烈な名前だ!)
あと生糸、シルクの織物、ミイラ(名に使う?)、奴隷等が輸入されました。
日本からは刀、銀、硫黄、漆器等が輸出されています。
その他にメガネ、ジャガイモ、カボチャ、パン、スイカ等が日本に入って来ます。
南蛮貿易は、主に九州の商人や大名によって行われたそうですが…これがまた…ガッツリ儲かったそうですよ。
南蛮バブルです。
南蛮文化
南蛮文化も当時の日本にドバっと入り込んで、日本人の暮らしに変化をもたらしました。
見覚えのあるものも多いと思います。
まずは、織田信長が身に着けていたマント。
あれは、思いっきり南蛮文化の影響です。
あと身近のところでは、天ぷらやカステラなどの食べ物。
これも南蛮文化の一つです。
天ぷらって和食みたいですけど、もともとは南蛮料理っだったんですね。
(カレー南蛮は違いますね…。カレー南蛮の南蛮は<南蛮=難波=ネギ>なんですって)
南蛮文化は、現代までその影響を伝えています。
戦国時代の大名たちは、天守閣を備えた超でかい城を築城していますよね。
これも、南蛮文化の影響です。
あの築城スタイルは、中世ヨーロッパの城を参考にして作られたものであります。
それより昔の城は、もっと地味でのぺーっとした平家の家みたいな城でした。
現代の感覚で言うと「お城」って言うよりも「軍事要塞」って感じかな?
大事な所では、医療系も見逃せません。
南蛮人の到来と共に、西洋の医学も日本に入って来ました。
大友宗麟は他自共に認める南蛮マニアなんですが、南蛮にどっぷりハマった切っ掛けは火傷の治療でした。
宗麟の弟が鉄砲の火力で大やけどをした時に、南蛮の治療法が見事に効いてしまったのです。
これを見た宗麟はめっちゃ感動して、以来身も心も南蛮に染まって行きます。
そのくらい、南蛮の医学はインパクトがありました。
まさに、カルチャーショック。
その他にカルタ、地球儀、パエリア、西洋音楽、一夫一妻制、油絵、印刷機なども南蛮文化です。
カルタって、南蛮文化なんだ…。
キリシタン
キリスト教の伝来も南蛮人がもたらしたものです。
キリシタンとはクリスチャンをポルトガル語で読んだ言葉。
※キリスト教を信仰している人のには、過去のキリスト教弾圧をイメージさせるので無暗に「キリシタン」という言葉は使わない方がいいかも知れません。
そのころ、キリスト教は日本での歴史は浅いのですが、1600年当時のキリシタンの数は75万人と言われています。
これは、昔の人口比率に換算すると、もの凄い人数。
その当時の日本の人口なんて、1000万人ぐらいしか居ませんでしたから。
75万人と言われたキリシタンの人口は、現代に当てはめてみると1000万人ぐらいに相当します。(マジか?)
昔はインターネットなんかないし、文字を読める人も少なかったし、教会もない。
そんな状況で、75万人もの人々に信仰を伝えるなんてすごい伝搬力ですね。
少し昔の話ですが「およげ!たいやきく」と言うレコードが大ヒットした事がありました。
これだって、売りげ枚数で言うと450万枚しかない。
しかし、当時の日本人にとって「たいやきくん」は常識でした。
信仰を持つってレコードを一枚買うより意味が思いですから、キリスト教の伝搬は
当時の日本に、とてつもない衝撃を与えた事でしょう。
(もしくは、信徒数の計測のやり方がゆるいとか…)
ちなみに虎舞竜の「ロード」は200万枚です。
まとめ
ヨーロッパの大航海時代が始まって以来、日本にもヨーロッパ人が来るようになりました。
彼らは日本の南方の方からやって来るので、南蛮人と呼ばれます。
そして、南蛮人は貿易や交流を通して、ヨーロッパの文化やキリスト教を伝えます。
特に鉄砲、医療技術、キリシタン、等は日本の戦国時代に大きな影響を与えました。
庶民レベルではカステラ、地球儀、西洋音楽等も伝えられ現代でも親しまれています。
天ぷらは和食ではなく、南蛮料理だったとは…南蛮人、ナイス!