1543年、日本に初めて伝わったとされる「鉄砲」。
鉄砲の伝来は、戦国の歴史に大革命をもたらし、新時代への幕開けを加速させました。
しかしこの鉄砲、実はもっと前から日本に来ていた、という説もあります…
今回は、鉄砲伝来について学校で習ったこと+アルファのお話をしますね。
超カンタンですから、サクッと読んで下さい。
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種子島に鉄砲が伝来した
1543年、種子島の海辺に一艘の中国船が漂着します。
そこで、近所の島民が船に近づくと…
乗組員が警戒して、こちらに鉄パイプみたいなものを向けて、バンバン爆音を鳴らして来る。
ただならぬ雰囲気を察知した島民は、一度退散。
その後、出直して役人さん等を交えて、実地検分。
すると、乗り組み員は中国人が中心でしたが…
その中には、さっきのバンバン音を鳴らす武器を所持していたポルトガル人もいました。
「何ですか、これ?」
「オー、コレハ『テッポウ』トヨバレル、キョウリョクナ『ブキ』デース」
「…テッポウ?ブキ!?」
『武器』と言われれば、途端にテンション上がっちゃうのが、当時の戦国武将たち。
そして、その鉄砲は種子島の領主、種子島時堯(ときたか)が購入します。
今の金額で言うと、一丁で2000万円ぐらい。
これを2丁買ったそうです。
結構なお値段ですね。
種子島時堯は鉄砲を買ったついでに、使い方や火薬の作り方を教わります。
すると次は、地元の鍛冶屋さん(八板金兵衛)に鉄砲のコピー品の製作依頼。
(よく作れましたね!)
金兵衛さんの作った鉄砲はその後、和歌山県、大阪、滋賀県へ渡りバンバン複製されます。
そして、その新しい武器に、当時の戦国武将たちが…群がりました。
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種子島以前の鉄砲伝来?
歴史の教科書では、鉄砲の初伝来は「一応」1543年という事になっています。
しかし、室町時代の古文書には、種子島以前に鉄砲が伝来していた事を示す記述がある…
相国寺僧侶による「蔭涼軒日録」(→要するに坊さんの日記)によると…
1466年7月に琉球の武人が、京都の足利義政(銀閣寺の…)を訪ねた時、鉄砲の実演射撃をやって見せたそうです。
それを見た京都の人たちは、鉄砲の威力に…ぶったまげた!そうですよ。
さらに、1468年11月の事。
応仁の乱の最中、東軍から「火槍」の攻撃があったと言う記録もあります。
これって種子島よりも、75年も早いんですよねぇ~
じゃあ、何で種子島ばかり注目されるのでしょう?
う~ん、よく分りません…(*^。^*)
ただ、種子島の鉄砲を元祖とすれば、その後の量産化⇒実用の筋道が簡単に説明できます。
これなら、学校の先生も日本史の授業で教え易いから…ですかね?
鉄砲の元祖
ちなみに、鉄砲が最初に生まれた場所は中国です。
中国で生産された火薬の技術を応用して、鉄砲を発明したんです。
ポルトガル人が伝えた、って聞くとヨーロッパが発祥の地かな?って思いがちですが…
中国で生まれた鉄砲はその後、アラビア⇒ヨーロッパ⇒日本へと伝来。
鉄砲の試作品みたいなのは、アジアから直に日本へ入っていたようです。
少数ですが…
で、コイツが非公式に日本に上陸して、歴史資料の中でチラホラ顔を出すんですね。
最初の鉄砲は、鉄パイプに毛の生えたような物で質素な造り。
精度もイマイチで、的を狙っても命中しない。
(前には飛ぶんですが…)
鉄砲って、ちゃんと製造しないと暴発して怪我しますから、使用する人も怖かったでしょうね。
そんな危険な兵器がヨーロッパで完成度を高め、日本に渡ったのが1543年の鉄砲伝来なのでした。
まとめ
1543年に、種子島に伝来したと言われる鉄砲。
それはポルトガル人によって持ち込まれ、日本人の手によって大量に複製されました。
強烈な破壊力を持った鉄砲は、戦国大名たちに重用され戦国時代の流れを変えて行きます。
ただ、鉄砲の初伝来が「種子島」で良いのかと言うと、少〜しだけ事実とズレがある。
まぁ、細かい事なんで気にする事も無いんですが…。