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尼子経久ざっくり説明
あまごつねひさ。
1458年生まれ。
性格:やんちゃ+気前が良い。
特技:謀略。
ファッション:冬でも薄着で過ごす。
その他:毛利元就に尊敬されていた。
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下克上男の目覚め
尼子経久は出雲(島根県)の守護代の嫡男(正室の長男)として生まれました。
1458年生まれなんで、戦国武将として結構古株な部類。
(信長より76歳年上)
経久は若い頃、京都で過ごします。
親分(守護大名、京極政経)に仕えて、って言うか要するに人質ってことですね。
京都ではだいたい5年ぐらい過ごしたんですが
この時の経験が経久に大きな影響を与えます。
当時の京都は、あの応仁の乱の真っ最中。
京の街は荒れ放題、敵味方が混ぜこぜになって、秩序はガタガタ。
幕府の権威は地に落ち、カオスの世界を目の当たりにします。
そこで、経久が感じたものは「やはり頼れるのは己一人、しっかりと自立せねば…」
じゃないんですね。
むしろ「よっしゃ、このぐちゃぐちゃ状態最高!このどさくさに紛れて成り上がってやるぜ」
だったのです。
根っからの下克上男は、この混乱をチャンスだと捉え
焼け野原と化した京都の街で、ワクワクしていたのでした。
いきなり下剋上
経久は出雲の実家に帰ると、すぐにお父さんから家督を譲り受けます。
(20歳ぐらいの時です)
そして地元に帰ると、京極の親分への忠誠をサクッと忘れ、
税金を納めないとか、お寺や神社の土地を横取りしたり等やりたい放題。
(お父さんもコレやってましたけど…)
さらに、これと同時に近所の侍仲間を増やして、独自の勢力を広げてきます。
そんな、経久の振る舞いは周囲の国人とか役人に反感をかってしまい、、
ついに京極の親分や、室町幕府に怒られて守護代をクビになってしまいました。
(16年後には復帰します)
でも、経久は守護代のステイタスなんか別に気にしていない。
名ばかりの地位よりも、実効支配が大事。
むしろ、守護代の変な縛りが無くなったので、
地元の侍や忍者グループ等の交流関係をガンガン増やして
独自進化を遂げていきます。
そして、パワーアップしたところでかつて自分を追い出した「月山富田城」を襲撃して取り返しました。
経久はこんな調子で周辺のお城や国に攻め入り領土を広げる。
やがて山陰地方(島根、鳥取)を手中に収め日本で有数の戦国大名になっていく。