1575年【信長の躍進】いつもの顔ぶれが揃って来たぞ!

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1575年、突き抜ける信長

1573に足利義昭を京都から追放し、新時代の幕開けを告げる信長。

室町時代にサヨナラして、新しい時代が始まろうとしています。

 

とは言え、まだちょっとやり残した事がありました。

火種がまだくすぶっている感があります。

 

その一つが、信玄亡き後の武田家。

信玄はもちろん怖かったけど、勝頼だってバカにしたもんじゃないんです。

国はデカいし、戦も強い。

気を付けないと、痛い目に遭います。

 

あと一つが、朝倉家滅亡後の越前国。

朝倉は一応滅ぼしたんですが、その後越前国には朝倉の残党と一向宗がタッグを組んでのさばっていました。

一向宗は、かつて自力で国を乗っ取るぐらいの勢力を誇った軍団。

しかも、本気を出すと何十万という兵力を動員します。

かなり、手強いんです。

 

この二つは、勢力が復活する前に早く叩いておきたい。

そこで、両方ともやっつけたのが1575年の長篠の合戦であり、越前国の一揆平定でした。

 

 

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長篠の合戦

武田信玄が死んで、若干ほっとしていた織田信長。

 

しかし信玄の息子、勝頼も意外と手強い事が判明し、急きょ対策を練らねばなりません。

勝頼は美濃国や遠江国にガンガン遠征してきます。

 

コイツを何とかせねば、夜もおちおち寝て折れないぞ…。

 

そこで信長は、長篠の合戦で勝頼を思いっきりぶっ叩く準備をします。

念入りな野戦築城、3万以上の大軍と、3千丁の鉄砲。

 

結果は皆さんご存知のように、武田の惨敗。

長い伝統を持つ武田家が、新興勢力の織田に負けるとは…時代の流れを感じます。

 

ちなみに、この時代の戦になると参戦する武将もテレビやマンガでお馴染みの面々が揃います。

柴田勝家、豊臣秀吉、蒲生氏郷、明智光秀、石川数正、滝川一益、前田利家、本多忠勝…。

 

越前国平定

越前国の朝倉氏は、信長包囲網を打破すのるのと同時に滅亡します。

 

しかし、全く枯らしてしまったのではなく朝倉の残党はまだ残っているし、一向宗と手を組んで生き残っている。

さっさと手を打たないと、息を吹き返して面倒なことになるといけない。

 

そこで、織田の一番の重臣柴田勝家を送り込み越前を抑え込みました。

佐々成政や前田利家などの協力サポートも付け足して。

 

越前国は北陸への入り口なので、ここがバタバタしてると気が気でないんです。

その奥の方には上杉謙信がいますからね。

 

その後の信長

当時の日本の中心部である、京都周辺の国々を制圧した織田信長。

もう、ここまでくると簡単にはひっくり返りません。

 

しかし、京都から追い出された足利義昭は性懲りもなく、第二の包囲網で信長に挑戦します。

武田と上杉に同盟を組ませたり、毛利を石山本願寺をくっつけたり…。

 

再び窮地に立たされる信長。

ところが、2度目の包囲網も意外な展開からピンチを脱します。

 

それは、上杉謙信の急死。

これって、前回と同じパターン。

前のは信玄でしたけれど…。

 

1575年以降も、時代はしばらく信長の味方をしていました。

 

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