【安芸国どこ?】説明&歴史!原爆ドーム、もみじ饅頭、吉川晃司

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安芸国って、どこ?

安芸国とは、広島県のおよそ西半分を指す地域です。

 

安芸国の国府(昔の県庁所在地)は現在の広島県府中町にありました。

府中町には現在、自動車メーカー「マツダ」の本社があります。

 

さらに、府中町出身の有名人として吉川晃司とか、竹原慎二などがいます。

何となく、親しみを感じますね??

 

安芸国内であれば厳島神社とか、広島市民球場とか、原爆ドームなどが広く知られるところ。

他にはオタフクソースもみじ饅頭などは安芸国の名産品です。

 

僕は高校生の時に、修学旅行で安芸国に行きました。

広島→岡山というルートで。

 

 

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安芸国の歴史

安芸国はすでに奈良時代には行政の統治が行われて、昔の貴族だの武人などがこの地を治めていました。

平安時代の半ば過ぎまでは藤原系の人たちが幅を利かせていてその後、平氏源氏へと統治者が変わっていきます。

 

 

鎌倉時代に入ると、安芸武田氏(源氏系の武人)が守護を担う様になります。

(※安芸武田氏…甲斐武田氏とご先祖は一緒です、源氏系なので)

 

室町時代では、次第に安芸武田氏から山名氏にとって代わります。

山名氏ってところが、いかにも室町っぽいですねぇ。

 

しかし、室町時代には応仁の乱が勃発し支配が緩んできます。

さらに下剋上現象が起こって、大内氏と尼子氏に挟まれた安芸国は統治があやふやになって来て…そこに登場したのが毛利元就だったのです。

毛利元就は、両者の隙を狙って見事に安芸国をかっさらって行きました。

 

しかし、毛利は関ヶ原の戦いで負け組(西軍)についてしまったので、安芸国は没収となりなした。

 

 

その後に、安芸国を治めたのは体育会系武将福島正則

この頃には時代は江戸時代になっていて、安芸国は隣の備後国と合体して広島藩になりました。(50万石)

ところが福島正則は、徳川にヘンテコなイチャモン(お前、勝手に城の修理しただろ!)を付けられ他所の国へすっ飛ばされてしまいます。

 

で、次にやって来たのが浅野氏

豊臣政権下で五奉行をやっていた浅野長政の家系です。

その後は、江戸時代が終わるまでず~っと浅野で続きます。

 

 

明治時代に入ると広島藩は広島県と名前を変えます。

1871年の廃藩置県ですね。

 

以上、安芸国でした。

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