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備後国ってどこ?
備後国(びんごのくに)とは広島県の東半分を指す昔の国名。
本州の瀬戸内海に面した国です。
あの辺は、他に備中国(岡山県)とか備前国(これも岡山県)なんてのがあり、少しややこしいですが…備後は「備~」シリーズの一番西寄りに位置します。
(何となく、分かってもらえるでしょうか…)
備後国で、まず思い出すのは「尾道」ですね!(個人的に…)
尾道と言えば、大林宣彦監督の尾道三部作です。(個人的に…)
「転校生」「さびしんぼう」「時をかける少女」の三作。
海辺の町、広島県尾道市を舞台に青春ドラマ描いた大林監督の映画。
一番の傑作は「さびしんぼう」です。
ぜひ、10回ぐらい見て下さい。
胸がキューンとなります。
さて、海辺の備後国は「さびしんぼう」で決まりですが、山の備後も忘れちゃいけません。
かつて山の備後では、日本中を震撼させるビッグニュースが巻き起こりました。
それは、広島県庄原市の山中に生息する類人猿「ヒバゴン」の登場です。
(比婆山脈に現れた類人猿だからヒバゴン…)
その当時は口裂け女とか、川口浩の水曜スペシャルなどの怪しい話題が花盛り。
そこへ来て、ヒバゴンの目撃情報が報道されれば「盛り上がるな」と言う方が無理です。
新聞でヒバゴンの記事を目にした時は、鳥肌が立つほど興奮しました。(個人的に…)
備後国って…いい国ですね。
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備後国の歴史
飛鳥時代とか奈良時代みたいな大昔においては、備後を含めた備前、備中をひっくるめて「吉備国」(きびのくに)と呼んでいました。
それは、岡山県から広島県にかぶるくらいの地域。
岡山とか広島で「きび」って言えば、桃太郎さんの「きび団子」なワケです。
吉備国の団子だから、きび団子。
サルとかキジもきっと、吉備国のどこかでお団子を貰ったはずです?
備後国は、そんな吉備国の一つでありました。
吉備国は、弥生時代の頃には既にちゃんとした国家として成り立っていました。
でも、後から大和朝廷が乗り込んできて吉備国を従属させてしまう…。
吉備国はその後、飛鳥時代にに入って備前、備中、備後に三分割されます。
(ここで初めて、備後の誕生ですね)
備後国は奈良時代までは、地元の豪族「吉備氏」が治めていました。
しかし、平安時代に入ると時流に沿って、藤原氏に取って代わられます。
鎌倉時代には北条の家臣である長井氏が統治。
室町時代は主に山名氏が担当しますが、時代末期には戦国の嵐が吹き荒れて尼子氏と毛利氏が備後を奪い合いました。
また、足利義昭が織田信長に京都を追放され、逃げ込んで来た鞆の浦(とものうら・広島県福山市)とは備後国の海辺の町であります。
戦国時代から江戸時代にかけては、毛利→福島氏(正則)→浅野氏と主君を変えて行く…。
江戸時代の備後国は、お隣の安芸国とセットにして広島藩と呼ばれます。
明治時代になると、広島藩はほぼそのまま「広島県」として再デビューを果たします。(廃藩置県ですね)
以上、備後国の歴史でした。