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因幡国ってどこ?
因幡国(いなばのくに)とは、鳥取県の東半分を指す昔の国名のこと。
鳥取県って、影が薄い県だから場所があやふやな人もいるかも知れませんね?
(人口のも一番少ないし…)
鳥取県は日本海側にに面し、本州の西から3番目の場所にあります。
(西から、山口県→島根県→鳥取県)
そんな影の薄い鳥取県の東半分が、因幡国。
そして、因幡国で有名なものと言えば…鳥取砂丘ですね。
なんと言っても鳥取砂丘。
むしろ、これしか無いと言っても過言ではありません。
因幡国には仁風格(じんふうかく)とか、雨滝(あめだき)なんてのもありますが、マニアとか地元の人じゃないとピンと来ないですもんね。
他に、あえてあるとすれば…「白兎海岸」(しらとかいがん)かなぁ?
「因幡の白兎」の白兎海岸。
ワニをコケにしたら、皮をひん剥かれたと言う伝説の白兎。
当地には「白兎神社」(やけどや皮膚病にご利益のある神社)があったり、「恋人の聖地」に認定された…なんてやってます。
知っている人は、知っているかも知れませんね。
ただ、細かいこと言うと…「因幡は因幡なんだけど他のイナバなのだ」
っていう意見もあったりします。
大昔の話なんで、よく分からない所もあるんです…。
あそうだ、いま因幡の名物思い出しましたよ。
鳥取砂丘の特産品である「ラッキョウ」。
ラッキョウは砂地でも生育できるので、江戸時代から作られているそうです。
ラッキョウの生産は今でも盛んに行われ、そのついでにカレーライスの消費量も多い。
カレーの横っちょにラッキョウを乗っけますでしょ?
因幡っ子はカレーにはラッキョウなんですって。
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因幡国の歴史
その昔、鳥取県の東の方では「稲場氏」という地元の豪族が力を持っていました。
そこで、その地域が因幡と呼ばれるようになります。
これは、すんごい昔の話。
飛鳥時代とかそのくらい古い話です。
「因幡国」という国の名は、奈良時代にあらあためて付けられたもの。
令制国を定める際に「みんながイナバって言ってんだから、ここは因幡にしよう」って。
その後、因幡国には中央の役人とか貴族がやって来てこの地を治めようとしますが、なかなか落ち着かない。
たぶん、地元の因幡族みたいな人達の力が強かったのでしょうね。
守護をやる人も、藤原系とか、皇族系とか、平氏系とかが入り乱れて誰が統治しているか分からない時期もあります。
それが、奈良時代から室町時代まで続きました。
ただ、戦国時代に入ると国が安定していないのを足がかりにして、強烈な大名どもがつけ入って来ます。
尼子、毛利、羽柴といった連中がズカズカと入り込んできました。
そして、この戦国バトルも関ヶ原の戦いで収束。
もう、因幡の豪族とか言ってる時代じゃありません。
その後、因幡国は徳川の力によってお隣の伯耆国と一緒くたにされ「鳥取藩」とした再出発します。
鳥取藩は明治維新を迎えると、ほぼそのまま「鳥取県」となりました。
以上、因幡国でした。