今回は、上杉謙信のお話。
「越後の龍」上杉謙信。
名前ぐらいは誰でも知っています。
でも、謙信って「長尾」って名乗ってたよね?とか、「どんだけ強いの?」なんて素朴な疑問を持っている人も多いハズ。
そこで今回は、謙信の生い立ちや、不敗神話、女性説?などの素朴な疑問や、よくある質問についてまとめてみました。
信玄に塩を送った話や、毘沙門天の事など、ウソかホントか分らん謙信伝説もありますが…
わかりやすく書いてありますので、サクッと読んで楽しんでください。
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謙信の人生・速攻説明
謙信伝説に入る前に、謙信の人生について軽くおさらいします。
少し思い出しておくと、エピソードがもっと楽しくなりなますから。
(1分で終わりますね)
出生から死亡まで
謙信は、上杉家の家臣長尾家の4男坊で、子供の頃はお寺に預けられていました。
子供の謙信は、お寺で戦ゲームばかりしていたので、和尚さんには「アホ」だと思われていたようです。
その後、元服を済ませた謙信は、ボチボチ戦に参戦しますが・・・なんだか強くね?謙信!
いや、確実に強い。
少なくとも、兄貴なんかより数段強い!!
てなわけで、4男坊の謙信が家督を継ぐ運びとなります。
(4番目だと、普通はなかなか順番が回ってこないんです)
謙信登場により、パワーアップした長尾家は越後を統一しつつ…
武田信玄とバトル(川中島)などして、巷で有名な戦国武将として注目されます。
すると、そこへ親分である関東管領の上杉氏が、助けを求めてきます。
「北条に攻められて、泣きそうです。どうぞ助けてください…助けてくれたら、上杉の名前と関東管領をあげます」
「よっしゃ、任せとけ!」
助けて!と言われると、断れないのが謙信の良い所。
これを機に、姓を長尾から上杉にチェンジして、上杉謙信が誕生します。
謙信は、その後も支配地をグイグイ広げて、北陸地方+群馬県あたりまで領土を拡大。
すると、今度は将軍の足利義昭が、謙信に助けを求めて来ました。
「織田信長に、京都を乗っ取られて困っています。助けてください…」と。
このお願いは、当初武田信玄に向けられものでしたが…信玄はガンで死んじゃった。
そこで、謙信にお鉢が回って来たのです。
信玄の後釜なら、悪い気はしません。
謙信が密かに尊敬していた、先輩武将ですから。
そして、信長と対決する決意を固めます。
ところが…
いよいよ本番、京都に行くぞっ!て時に、おトイレで急死。
享年49歳。
死因は脳梗塞。
(暗殺された説もあります?)
以上、上杉謙信の一生でした。
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謙信のよくある質問
おさらいを済ませたところで、もう少し面白い話をしましょう。
謙信の、気になる○○みたいな感じで…
謙信と信玄どっちが強い?
これ、謙信の素朴な疑問で、一番多いヤツですね。
偏屈な歴史オタクは「何を基準に強いとか、弱いとか言ってんの?」
とか、めんどくさいゴタクを並べる人がいますが…ズバッといきますね。
信玄の方が強い!です。
厳密な議論をすると、キリがないんで…そこを強引に決めるなら、信玄の方が勝ち。
謙信と信玄は、5回に渡って川中島で戦をしています。
しかし、戦の勝敗は限りなく引き分け。
だから、どっちが強いかって言うと…どっちもどっち。
でも、それじゃ面白くないですよね。
白黒ハッキリつけたい。
ならば、こう考えましょう。
川中島の戦いは、双方が北信濃(長野県の北の方)を奪い合った戦でした。
で、その北信濃を最終的に、支配したのが信玄だったので、信玄の勝ち。
こう書くと、謙信好きな人はガッカリしそうですが、ちょっとの差ですからね。
気にするほどでもありませんよ。
元気出して下さい。
生涯不敗ってホント?
生涯不敗伝説のある上杉謙信。
70回も戦をして一回も負けなかったなんて、本当でしょうか?
強すぎですね…
でも、一般的に謙信の戦の勝率は「43勝2敗25引分け」となっています。
2回負けてるじゃん…?
一つは「生野山の戦い」(1561年、VS北条)
二つ目は「臼井城の戦い」(1566年、VS北条)
ただ、これらの戦に関しては「生野山の戦い」は負けたのではなく、撤退。
「臼井城の戦い」は上手く城を攻めきれないだけで、負けたのとは違う…という説もあり。
ってなワケで、少しオマケしてやれば、不敗神話もOKなんですね。
100%不敗か?と言うと、ちょっと微妙なんですが、立派な勝率ですよね。
「勝ち」の方の数字だけ見ても、勝率は61%ですから、プロ野球のペナントレースだったら1位を取れます。
ちなみに、謙信以外の不敗武将というと…毛利元就、竹中半兵衛、吉川元春などなど。
他にも、数人いるようです。
謙信女性説
上杉謙信は女性か??
これも、巷に流布するウワサの一つ。
その理由として・・・
- 謙信は、毎月10日辺りになると「腹痛い」と言って部屋に引きこもる(生理?)。
- 生涯独身。
- 筆跡が女性的だ。
- 民謡の中で、謙信を女性の如く歌っている曲がある。
- 謙信の死因は婦人病だとする説がある。
- 恋愛文学にハマっていた。(いいじゃん別に…)
などなど。
なるほど、これだけの証言があるなら謙信は…やはり女性?
じゃあ、上杉神社が所蔵している謙信の肖像画は…ナニ?あの髭の生えたオッサンは誰よ?
普通に考えると、謙信は男なんですが…生涯独身とか、腹が痛くて仕事休むとか、謎っぽい所があるのも確か。
(他に、謙信の事を女性っぽく描いた肖像画など、アリ)
謙信の女性説は、いろいろ議論されますが、最終的には「やっぱり、男だよね!」
という所で落ち着きます。
敵将・武田信玄に塩を送る?
今川義元が、桶狭間で織田信長に討ち取られると、これをチャンスと見た武田信玄が駿河に攻め込んで来ました。
すると、武田信玄と今川氏真(義元の息子)の敵対関係がヒートアップして…氏真は武田氏に対して塩の流通をストップしてしまった!
さあ、大変だ!塩の無い人生なんか考えられない。
さすがの信玄もこの時ばかりは、困り果てます。
甲斐には、海がありませんから。(当時の武田は今川経由で塩を入手していた)
この知らせを聞いた上杉謙信は、今川の取った手段を「そりゃ、ちょっと違うでしょ」
って、事で敵将・信玄に塩を送ったと言う話。
聞いた事ありますでしょ?
へぇ~、やっぱ義将、謙信!
塩不足で追い詰められる甲斐国民を、見捨てられなかったのですね~。
と、いきたい所。
でも、実際は「塩を送る」っていうか「塩を止めなかった」と言うのが、実情の様でした。
武田は、それまで今川から塩を買っていたんですが、今度は上杉から買う。
造塩は上杉の産業の一つだったので、これが武田にガッツリ売れるんだったら…
売る!売る!売る!です。
戦国大名は戦の強さだけじゃ、ダメなんですね。
ちゃんとお金持ってないと、勝ち残れないんです。
つまり、今川が塩を止めてくれたおかげで、上杉にゴールドラッシュが舞い込んだワケ。
塩売ってウハウハになり、信玄が恩に着てくれるんなら一石二鳥。
謙信が信玄に塩を送ったのは、まるっきりの美談ではないのですが…
信玄は一応これに感謝して、謙信に「塩止めの太刀」という刀を贈っています。
(この刀は重要文化財として、東京国立博物館にあるそうです)
毘沙門天と謙信
毘沙門天とは、北方を守護する武闘派の神様。
そして、謙信は自分のことを「毘沙門天の生まれ変わり」だと信じていました。
バカなのでしょうか?この人は…
「自分の前世は毘沙門天である」なんて言っちゃって。
こんな人がご近所に住んでいたら、普通に怪しいですよね。
でも、謙信の場合は若い頃から戦は強いし、全然負けないし、ミラクルな勝ち方をするし、毎日お経は欠かさないし…やっぱ、神?
普通の人は高校受験するぐらいで、神頼みするじゃないですか?
そんなもん、いくら落ちたって死にゃしないですよ。
戦にくらべりゃ、軽い軽い。
しかし、謙信はそれ以上の生死をかけた戦いで、次々と勝利を収めていった。
バカじゃ出来ませんよね…
これに加えて、ナルシストな性格&スピリチュアルな思考回路。
ここまでやられちゃあ「毘沙門天=謙信」を否定する方が疲れる。
謙信より立派な戦果を上げた人なら「毘沙門天は言い過ぎだろう」
って、言えますが…普通の人だったら、そこまではヤルのはまず無理です。
こんな話があります。
戦に忙しくて、久しぶりに春日山城に帰った謙信。
で早速、毘沙門天のいるお堂へ経過報告に向かうと…お堂の中まで続く、泥んこの足跡。
「誰よ、こんな足跡つけたのは?」
そして、その足跡の終点には…毘沙門天の像が立っていた!
普通の人は、これは謙信の姉さんかもしくは、お母さんがやった…と解釈します。
ところが謙信は、そうじゃない。
「やっぱ、戦場に来てたんだね!」となります。
これこそが、謙信の強さの秘訣です。
たぶん…