今日は、室町幕府の「四識」という役職についてお話します。
三管領・四識の四識(ししき)。
日本史の授業で習いましたっけ?覚えていますか?
(僕はすっかり忘れていました…)
スカッと短時間で説明しますから、最後まで読んでくださいね。
スポンサーリンク
四識とは…
四識(ししき)とは、室町幕府のお偉い役職のひとつ。
四識の「四」とは、赤松氏、一色氏、京極氏、山名氏のこと。
四識を担当した室町時代の有力大名・四家のことを指します。
四識の役割は、昔でいう「侍所(さむらいどころ)」の一番上の長官。
じゃ「侍所って何?」ですよね。
侍所とは今でいうと…警察と自衛隊と税務署を足してミックスした様な仕事。
(なんだか…めっちゃ強そうです)
足して3で割ってませんから、それだけ大きな権力を持っています。
そこのトップが四識。
これを、さっきの赤松氏、一色氏、京極氏、山名氏の4家が交代で受け持っていました。
実際にはこれに加え、今川氏や土岐氏も参加したりしてましたが…
一般的に言われる「四識」となると赤松、一色、京極、山名の4家のことを意味します。
スポンサーリンク
三管領との違いは?
室町時代には、四識と共に「三管領」というお偉い役職もあります。
(細川氏、畠山氏、斯波氏)
どっちも偉いんですが、四識が警察+自衛隊+税務署だとすると…
三管領は、国会議員のナントカ大臣…みたいな感じかな?
で、将軍が総理大臣的な存在。
そのような違いがあります。
どれも重要な役職なんですが、あえて偉い順で言うと…将軍>三管領>四識。
こう書くと「四識ってショボい?」なんて思っちゃいますが、そうでもないですよ。
四識の一員である赤松氏は、室町最強の将軍足利義教(6代目・よしのり)の暗殺に成功しています。
成功っていうか…やっちゃった。
四識でも、やろうと思えばそれくらいの事は出来るんです。
ちなみに、三管領以外に「関東管領」とか「四国管領」なんてのもありますが、こちらはそれぞれの地方を統括する管領です。
大雑把に言うと、県知事みたいな感じかな?
地元の番長です。
四識の行く末
室町時代に栄華を誇った四識なんですが、その後時代を経るに従いパワーダウンしていきます。
その切っ掛けとなったのは、さっきお話した…赤松氏が将軍を暗殺した件。
赤松氏にやられた将軍・足利義教は、めちゃくちゃ優秀な将軍だったのですが…
性格が死ぬほど怖い(殺されるほど怖い?)。
そこで赤松氏が立ち上がり、クーデターを決行します。
ところがこれを切っ掛けに、幕府は弱体化。
足利義教の恐怖体験をたっぷり味わった三管領や四識は
「あんな怖い将軍は二度とゴメンだ、もっと優しい人がいいよ」
とばかりに、それ用の将軍を作りました。
これが、8代目将軍の足利義政。
銀閣寺で有名な…。
義政はバカじゃ無いんですけど、性格が文化人なので将軍職はやる気なし。
足利義教みたいに怖くはないけど、将軍としては使い物にならない。
それ故に、室町幕府は統率力を失い…その結果、応仁の乱が巻き起こってしまいます。
すると全国の大名や武将たちが、自己の利益を守るために勝手な行動に走るので…
四識の大名たちも、自分の国が心配で地元に帰っちゃうんです。
(三管領もそうでしたが)
「自分の国は、大丈夫かなぁ~?隣国から侵略されてないかなぁ?」って。
そりゃそうですよね。
自分ちの戸締りが心配だったら、仕事なんか手に付かないですから。
かくして、各大名は中央の政務よりも自国を守ることに気持ちが向いて…
四職も、幕府からお留守になることが多く…次第にフェードアウト。
四識の家系は、戦国時代以降も一応残ってはいましたが…
信長や家康の勢いには、到底かないませんでした。
戦国時代の荒波に飲まれちゃましたからね。
まとめ
室町幕府で、侍所(警察+自衛隊+税務署)のトップを担った四職(ししき)。
開幕〜応仁の乱までの間は、協力な権力を振るっていました。
しかし、時代の流れと共に幕府の権力が衰退すると、四職もだんだんパワーダウン。
そして、戦国時代ピークに達する頃には、織田信長にグチャグチャにされて…幕府も四職も過去の思い出、と化します。
途中までは、あんなに強大だったのに・・・