朱印船貿易とは、徳川家康が始めた海外との貿易。
学校で習いましたよね。
でも…「江戸時代に入ってから、日本は鎖国してたよね?」とか
「南蛮貿易と何が違うの?」なんて疑問を持っている人もいるかも知れない。
かく言う僕も、高校三年までその違いが良く分っていませんでした(#^^#)
と、言うわけで今回は、歴史の授業をちゃんと聞いていなかった、もしくはど忘れしちゃった人に送ります…
超簡単な「朱印船貿易とは?」
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朱印船貿易とは?
朱印船貿易の始まり
朱印状とは日本が発給した、海外渡航の許可書。
今で言う、パスポートみたいなものですね。
で、この朱印状をちゃんと持って貿易する事を「朱印船貿易」と言います。
時代的には…戦国時代の終わりから、江戸時代の初めの頃にかけて行われました。
その当時は、南蛮文化の伝来と共にワケの分かんない外人が入って来たり、恐ろしい海賊が発生して海の治安が乱れ放題。
これでは、海外と真面目に交易したい人が迷惑だし、日本の国益にも悪い影響が出る。
そこで、豊臣秀吉が海外に行きたい人は「朱印状を持ってないとダメ」って事にしました。
もちろん、身元が分からないヤツとか、勝手に渡航する人には朱印状はあげません。
朱印状を持ってないヤツは逮捕!
こうして、朱印状を発給することで、海と貿易の安全を守ろうとしたのです。
朱印船貿易っていうと、江戸時代ってイメージがありますが…
初めに朱印状を発給したのは豊臣秀吉で、徳川家康がそれを受け継いだんですね。
ただ、「朱印船制度」ってやつをキチンと整備したのは家康の時代だったので、朱印船貿易と聞くと思わず、江戸時代~みたいなイメージがあるのかも。
朱印船貿易の終焉
ただ、この朱印船貿易はそれほど長続きしませんでした。
1604年に正式にスタートした朱印船貿易は、1635年で終了。
それは、この頃からボチボチ鎖国が始まったからです。
完全鎖国は1639年なんですけど…これに先駆けて、世間的には鎖国政策がジワジワと開始されます。
鎖国の理由は、早い話、キリシタンの締め出しです。
キリスト教の禁教令は1613年に出されていて、それ系の人は日本に入れない様にはなっていました。
でも、スペインとかポルトガルの宣教師は頭をつかって…東南アジアから日本人キリシタンを朱印船に乗せて、日本国内に送り込む。
すると、顔は日本人でも、心はキリシタンなので見分けがつきません。
パッと見「貿易商の人かな?」って思っても、実はやる気満々キリシタンだったりする。
これでは、キリシタンを輸入してるのと同じじゃないですか。
そこで幕府は、朱印船制度を根本的に見直します。
今までは、朱印状を持っていれば海外に行けたけれど、これからは「奉書」という新しい免許が無いとダメ…と言う事にします。
これで隠れキリシタンも、朱印船ルートで日本に潜入出来ません。
また幕府は、貿易相手国をキリスト教の売り込みをしない国だけに限定。
(オランダ、中国、朝鮮、琉球)
そのおかげで、朱印船貿易は活躍の場を失い…長崎の出島で貿易をしていた、オランダの東インド会社に取って代わられた、、というワケです。
さよなら、朱印船貿易・・・
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貿易相手国は?
朱印船貿易の相手国は、主に東南アジアが中心でした。
ベトナム、タイ、フィリピン、カンボジア、台湾…などなど。
本当は中国とか、朝鮮のほうが近くて貿易しやすいんですが…
時代的に朝鮮出兵の直後だったので、日本は出入り禁止を食らっておりました。
貿易の品目は…日本からは銀、銅、刀などを輸出。
そして、アジアからは絹や生糸、サメの皮、砂糖などを輸入。
朱印船貿易の良い所は、日本人の欲しかったシルク製品を輸入出来たことと、銀で支払いをすると喜んでもらえたこと。
昔の日本は、石見銀山で銀がバリバリ取れたので、コイツで支払いOKならメッチャ都合が良いんです。
ちなみに、日本が好きなシルク製品は「made in china」なんですけど…
中国では日本人はブラックリストなので、わざわざ東南アジアまで行って交易しました。
これも、朱印船貿易の特徴ですね。
(シルクが欲しいってのが、平和っぽくていいです…火薬とか武器じゃないですから)
ところで、貿易に使っていた朱印船の大きさは、デカいヤツは100メートル位あったそうです。
乗組員は、200人位乗っていたようですね。
かなり、大勢乗っている気がします。
船の乗り心地は、どうだったかなぁ?
昔の奴隷船の話なんかを読むと、かなり悲惨だったような記憶がありますので、朱印船もきっと最悪ではないかと、思われ…
フィリピンに追放された高山右近も、長い船旅で命を削ったようですから。
朱印船貿易と南蛮貿易の違い
朱印船貿易の前の日本は、南蛮貿易っていうのをやっていました。
っていうか、時期的に重なっているので、若干判別がゴッチャになる事もある?
そこで、南蛮貿易と朱印船貿易の違いについて、まとめてみます。
南蛮貿易
南蛮貿易とは南蛮人(スペイン、ポルトガル人)の到来と共に始まった貿易。
1540年代からですから、戦国時代の真っただ中ですね。
交易品目は鉄砲、火薬、ガラス、シルク製品、時計…などなどを日本に輸入しました。
日本からは、主に銀を輸出。
当時は時代が時代なんで、南蛮貿易の目玉商品は何といっても…火薬ですね。
戦で沢山使いたいですから。
あと、南蛮貿易は外国の人が九州に来て取引するのが特徴でした。
ただ、南蛮貿易の裏には人身売買や日本を侵略する狙いが潜んでいました。
なので、これを警戒した秀吉はバテレン追放令などを発動して、南蛮人をけん制します。
朱印船貿易
朱印船貿易は戦国時代の終わりの頃にスタートした、東南アジアの国々との貿易。
交易品は主に、シルク製品(アジア)←→銀(日本)。
さっき、書きましたね…(*’▽’)
朱印船貿易は、日本人の方が外国に赴きました。
これは、南蛮貿易とは逆ですね。
で、朱印船貿易を切っ掛けに、東南アジアへ多くの日本人が渡りまして…
東南アジアの各国に日本人タウンを作ったそうです。
日本人が現地に赴任していれば、貿易もスムーズに出来るってもんです。
そこで有名なのは、タイに渡った山田長政という武将。
山田長政は貿易に尽力しつつ、タイ王朝の信任を受けて女王様と結婚しちゃった…
という伝説があります。
また、タイでの戦に参戦すると、ヤバいくらい強かったという話です。
(日本人武将はどこの国に行っても、戦が強い・・・)
まとめ
海外渡航や海の安全を守るために発給した朱印状。
この朱印状をもって正式に海外と貿易したのが「朱印船貿易」。
しかし、江戸時代の鎖国政策が始まると、朱印船貿易は終焉を迎えます。
南蛮貿易とのとの違いは…南蛮は主にヨーロッパの国と火薬を取引する貿易に対し、朱印船は東南アジアでシルクを求めた貿易。
大雑把に言うと、戦国時代が南蛮貿易で江戸時代が朱印船貿易。