今日は、黒田官兵衛のエピソード3選をお送りします。
有名なやつばっかりなので、もう知ってるかも知れませんが…
今回のお話は初心者向けに、軽~く書いてあります。
サラサラっと読んで楽しんで下さいね。
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エピソード①どうして12万石しか貰えないの?
黒田官兵衛は、秀吉の天下統一に大きく貢献した豊臣系の家臣。
鳥取城を干乾びさせたり、備中高松城を水浸しにしたり、四国を攻め落としたり…よくがんばりました。
でも、官兵衛が与えられた所領は、豊前・中津(大分県)にたった12万石ほど。
側近たちが「どうして、あれっぽっちしか与えないんですか?」と、秀吉に訪ねると…
「アイツに大国を与えたら、速攻で天下取っちゃうからね。だから、あげないの」と。
12万石あれば、極端に少ないって事も無いんです。
でも、石田三成や加藤清正なんかと比べると、もっと貰ってもいいはず。
実際に、秀吉がこのように言ったかどうかは不明ですが…
官兵衛の才能を評価し、また警戒していた事を言い表した話の一つですね。
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エピソード②関ヶ原の後で…
関ヶ原の戦いの後、官兵衛は息子の長政からの報告を受けます。
「父さん聞いて下さい。
家康様は私の功績を喜んで、右手をガシッと握って褒めてくれましたよ」
しかし、官兵衛は浮かない顔。
「ああ、それはご苦労さんでした。
だけど、ちょっと勿体なかったよね。せっかくのチャンスを…」
「それは、どういう意味ですか?東軍は勝利したんですよ」
「家康は右手をガシッと掴んだのだろ?
だったら、残った左手でグサッとやったらよかったのに。
そうすりゃ、徳川はパニックになって、我々黒田にも天下が巡って来たかも知れないぜ…」
要するに「官兵衛は抜け目がない」って話ですね、これは。
あと官兵衛は、信長が本能寺の変で討たれた知らせを聞いた時も
「秀吉様、チャンス到来ですよ。これで天下は頂きですね」と、進言したそうです。
ただ…秀吉には「そこまでズバリと言うのは、不謹慎だぞ!」と怒られましたが。
エピソード③晩年の官兵衛
晩年の官兵衛は、口うるさい偏屈ジジイになっていたようです。
家臣達も、そんな官兵衛がウザくて嫌がっていました。
そこで、息子の長政が官兵衛を黙らせようと、話し合いに来ました。
「父さん、家臣にグジグジ小言を言って困らせるのは、やめてください。
みんな、気分がウツになってしまいますから」
すると、官兵衛はこう返します。
「お前、分かってないなぁ。
死にぞこないのジジイは、これくらいが調度いいんだよ。
みんなに『あ~、大殿が死んでくれてスッキリしたぜ』ぐらいの事を言わせておけば、跡を継ぐ者は幸せだ。
『あのくそジジイに比べりゃ、長政様は神様だ』って、なるだろ?」
(ホントかなぁ?単なる屁理屈に聞こえるんですけど…)
おまけ・官兵衛は天下を狙っていたか?
もし関ヶ原の戦いが100日続いていたら、官兵衛が天下を取っていたかも???
東西の両雄が、関ヶ原で互いに消耗している間に、官兵衛が九州をまとめて第三の勢力になる…と言う説。
そして、目指すは黒田による天下統一。
歴史ロマンを掻き立てるストーリーなんですが、一般的にはそれは「あり得ない」との事。
(ちょっと残念)
もし黒田家が天下目指すなら、そのままの勢力ではまだまだ小さすぎます。
テレビドラマのお陰で「官兵衛=天才軍師」みたいなイメージがあって、チャンスさえあれば官兵衛のどんでん返しもアリか?なんて思いがちですが…
そこまでのミラクルは、さすがの官兵衛でも荷が重い。
確かに、関ヶ原の戦いの最中、官兵衛は九州で傭兵をかき集め、黒田の有力武将は地元に温存していました。
でも、これは九州で革命を起こすためではなく、普通に領地拡大のためでした。
家康からは「切り取り次第」と言われていたし、天下の雌雄が決しようとする時代を目前にして、好きに戦える最後のチャンスだと捉えていたんでしょうね。
歴史通の人に言わせると「官兵衛は天下なんか狙っていない」なんて答えが返って来ます。
それはそれで納得できるところだし、歴史もそれを証明しています。
でもそれって、普通過ぎてワクワクしない。
それなら玉砕覚悟で「官兵衛野望説」の方が面白いと思いませんか?