甲斐の虎「武田信玄」。
名前ぐらいは、小学生でも知っています。
また、さらに風林火山とか、上杉謙信との戦いとか、戦国最強説などは誰もが耳にする言葉ですよね。
でもそれって、バラバラに覚えていたら信玄のイメージも曖昧だったりして?
そこで今回は、信玄の人生を10年単位で刻み、超分かりやすく解説します。
読み終わったら、軽い信玄マニアになれますからね(^^)v・・・楽しんで読んで下さい。
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武田信玄とは・・・0歳~10歳まで【信虎オヤジに嫌われて】
武田信玄は甲斐国の戦国大名、武田信虎の長男として生まれました。
(本当は信玄には4歳上の兄さんがいたんですが、小さい頃に死んでしまったので、信玄が嫡子となります)
信玄は、岐秀元伯というお坊さんに学問を習い、非常に成績優秀だったそうです。
物静かで、秀才的で、お勉強のできる少年。
ところが、父信虎はそんな信玄がイマイチ気に入らない、、って言うか反りが合わない。
信虎は、叩き上げの現場職人みたいな武将だったので、エリートっぽい信玄を見てるとイライラするんです。
「コイツ、やる気あんのか?ウチは武将稼業なんだから、もっと元気がなきゃ務まんねーぞ」
そこで信虎は、信玄よりも弟の信繁ばっかりを可愛いがるんです。
明るくハキハキした信繁は、信虎のお気に入り。
「やっぱ、武将の息子はこうでなきゃ!それに引き換え太郎(信玄)のヤツは、暗い…」
凶暴、強引、ワンマンな父信虎にとっては、信玄のことがダサくて頼りなく見えたんですね。
そんなワケで幼少期の信玄は、父親の愛情不足の状態で過ごします。
ただ、信虎の変わった性格は家臣や家族も認めるところ。
だから、幼い信玄に同情する人もいましたので、まるっきり『可哀そうな少年』って事もありませんでした。
「太郎ちゃん、強烈なオヤジのせいで苦労してるなぁ」って感じ。
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10歳~20歳まで【結婚、元服、初陣】
さて、もう少し大きくなった信玄は13歳で結婚します。
(昔の人は早婚ですね…まだ中学生ですよ)
結婚相手は上杉朝興の娘さんなんですが、翌年死亡。
難産をこじらせたので…
そこで、16歳の時に次に嫁さんを貰います。
この人が、歴史ドラマでお馴染みの三条のお方です。
京都の三条家からお嫁に来ました。
そして、これとほぼ同時期に元服し、翌年には初陣。
当時は、甲斐国は信虎オヤジがすっかり統一してあったので、信濃方面への参戦でした。
いよいよ、信玄も大人になってきたワケです。
ところで、この時代の信玄は「パッパラパーのうつけ者」で知られていました。
文学三昧で頼りにならん、武田の後継ぎ。
ただこれは、父信虎を警戒させないためのお芝居…
信虎は半分本気で、信繁に家督を譲ろうと考えていました。
そこで、もしそうなったら、信玄の命が狙われる可能性があります。
「信繁に家督を譲って、もし信玄が家臣達とダダをこねたら面倒だな。
それじゃ、信玄を殺しちゃうか?事が大ごとになる前に…」
残虐で強引な信虎なら、そう考えてもおかしくありません。
そこで信玄は、バカ殿に扮して鬼オヤジの狙いをかわします。
「こんなヤツ、殺す価値もないな」と、思われることで。
ところが、そんな信玄のお芝居振りを、横目でチラチラ見ていた家臣もいました。
板垣信方、飯富虎昌、甘利虎泰といった面々は、真意を察して信玄バカ殿芝居に感服します。
そして、これが後の『信虎追放事件』に発展して行くのです。
いやぁ、十代の信玄は結構苦労していますね。
部活や恋愛で青春を謳歌する今どきの若者とは、大違いです。
【武田信玄】逸話で語る信玄シリーズ①「3千の兵を2万に見せる方法」
20歳から30歳まで【信濃に攻め込め!】
強引で凶暴でワンマンな父信虎。
それ故に甲斐統一という偉業を成し遂げたんですが、そんなヤツと何十年と付き合っていると家臣達もいい加減ウンザリしてきます。
領民には無理な重税をガンガン課すし、家臣には横暴過ぎる態度。
「あーもう勘弁してくれよ、パワハラあのオヤジ…」
「武田、辞めちゃおっかなぁ~」
不満たらたら。
すると、いよいよ信玄が立派な大人になります。
でも、当時の家臣の多くは信玄よりも、弟の信繁の方に期待していました。
ただ、信繁をた頼るには、まだ早いんだよねぇ。
じゃあ、アニキの信玄?
いやいや、信玄はドラ息子だから使い物にならない・・・
(。´・ω・)ん?ホントにダメ?
これってホントは、遂にキタ――(゚∀゚)――!!じゃないの?
みんなが信虎に嫌気がさしている中、次のヒーローに誰もがアホだと思ってたドラ息子の信玄が登場。
いや、登場じゃなくで、ずっとそこにいた!
10年以上も猫を被っていた信玄は、この時を待っていたのです。
家臣達がストレスで弾けそうになる瞬間を。
鬼の信虎から家臣が離反して行くのは、時間の問題。
一方、重臣の中にはかねてより信玄の思いを推し量る者もいる。
そして、ついに機は熟した。
みんなは、信虎から離れたがっている…
「若、そろそろ出番ですよ!」
「甘利さん、なんで分かったの?」
「今さら、ヤボな事言わないで下さいよ…」
こうして、信玄は家臣と結託し父信虎の追放に成功。
そして甲斐武田氏に、信玄の時代がやって来ました…
信虎オヤジを追放した信玄は、その後10年間を信濃侵攻に費やします。
諏訪氏、小笠原氏、村上氏と次々に攻略。
でも、全てがスイスイと勝ち進めたワケじゃ無いんですね。
特に、北信濃の村上氏との戦いでは手痛い連敗を喫し、信玄の自力では勝てませんでした。
結局は、真田幸隆に手伝ってもらって…ようやく勝利。
20代の信玄は、信濃方面で実戦経験を積みながら領土をガツンと広げました。
また、諏訪氏を攻略した際に『諏訪御寮人』を側室にしています。
勝頼のお母さんデスネ。
30歳~40歳まで【謙信との戦い】
20代の信玄は信濃侵攻の明け暮れていましたが、30代に入ると上杉謙信との戦いに突入します。
いわゆる『川中島の戦い』ってやつですね。
謙信と戦う切っ掛けになったのは、先に信濃で戦った村上氏が越後に逃げ込んだため。
「謙信さん、村上の土地が信玄にブン捕られて困っています。助けてください!」
「よっしゃ分かった。信玄と戦おう…」
こうして、信玄と謙信の10年戦争が始まります。
と言っても、川中島シリーズでは大きく戦ったのは4戦目だけで、他は小競り合いと寝返り工作ばかりでした。
そんな調子でダラーと、足掛け10年両者は戦います。
で、勝敗の結果は…僅差で信玄の勝ち!?
(本当にちょっとの差です)
【武田信玄】逸話で語る信玄シリーズ⑤「謙信も及ばぬ信玄の強みとは?」
あーそうそう、信玄と謙信が戦っている間に、とんでもない出来事も起こりました。
それは駿河の盟友、今川義元が織田信長の奇襲を食らって討ち死する『桶狭間の戦い』。
これには、さすがの信玄もびっくりしたでしょう。
それまで、今川の駿河は義元が怖かったので、容易に手出し出来ませんでした。
しかし、向こうが勝手に死んでくれたので、信玄にとっては新たなチャンス到来!
そして、実際に信玄の触手は駿河へと向いて行きます。
40歳~50歳まで【駿河に攻め込め!】
上杉謙信との戦いがほぼ片付いたところで、信玄は次の標的を今川に定めます。
街道一の弓取りを誇った今川義元は、今はもういない。
そして、これを喜んだのは信玄ばかりでなく、徳川家康もそうでした。
家康は、信玄に今川を攻撃する事を持ち掛けます。
「信玄さん、義元のいない今川はヘナチョコですから、一緒に襲いに行きませんか?」
信玄としても、もちろん「やる!やる!」です。
義元無き今川など、恐れるに足りず…
そして、信玄と家康はドドーっと今川に攻め込み、二人で山分け。
駿河は武田、遠江は徳川。
ガッツリ儲かりました…
ちなみに、この当時の信玄事件を3つ程挙げておきます。
①義信事件
信玄の長男である武田義信。
この義信は親今川派でオヤジの信玄と意見が合わず、また謀反の嫌疑をかけられ幽閉→自害という運命を辿ります。
かなり優秀な武将だったのに…ああ、もったいない。
義信が生きていたら、信長なんかに負けはしなかったでしょう?
②敵に塩を送る
今川と武田が戦っている時に、今川は報復手段として塩の流通をストップしました。
塩が無いと、非常に生活上困りますよね?
そこで、かつて敵対してした上杉が武田に塩を送りました。
送った…というか、販売した。
造塩業は上杉の有力な産業で、それを武田がガッツリ買ってくれるなら喜んで売りますよ。
これで、信玄も謙信もニッコニコ。
③風林火山
風林火山の旗印が武田で使われ始めたのは、この時代と言われています。
信玄が40歳ぐらいになってスタートしたんですね。
風邪の様に素早く、静かな林の様に冷静で、熱い火の様に激しく、山の様にどっしり構えよ。
これは兵法の書物にあった一節を、旗印に引用したものらしい。
らしい???
と言うのは、風林火山的な旗は使用してしていましたが、明確に『風林火山』だったかどうかはあやふやなんですって。
それっぽい軍旗を「風林火山」だとしたのは、ヘタをすると…昭和になってからかも知れない。
まあ全然違う旗じゃないですけど、「風林火山」の伝説が始まったのが1561年という話でした。
50歳~死ぬまで【病気に負けて上洛ならず…】
齢50年を重ねてしまった信玄。
残された命は、あと3年。
ここからが、人生のラストスパートです。
この時期になると、上洛を果たした織田信長が将軍・足利義昭と対立するようになります。
信長に良いように利用された義昭は、諸大名に向けて「織田信長を討て!」と訴えます。
いわゆる『信長包囲網』ってヤツです。
で、そのボスキャラが武田信玄。
信玄は他所の大名と連携を取りながら、ジワジワと京都を目指します。
この上洛が成功したら、信玄の地位もドカーンと上がる。
果たして上手く行くだろうか??
当面の敵は、信長と同盟関係にある徳川家康。
京都に向かう道のりに家康がいるので、まずはコイツを始末しなけりゃいけない。
家康程度なら、無理なく勝てるんです。
【信玄】逸話で語る信玄シリーズ③「情報戦で家康をズタボコに」
ところが…かねてより信玄の体調が悪い。
何度も血を吐いて、まともに戦える身体じゃない。
実は、もう死ぬ寸前でした。
最後の野田城の戦いなんか、最初っから絶不調でもうフラフラ状態。
(それでも戦は勝ちます)
そこで、あまりに具合が悪いから、信濃の一度帰って様子を見る事にしたんですが…
結局病状は回復せず、そのままあの世行き。
享年53歳。
死因は、結核と言われています。
ちょっと早いかなぁ?モッタイナイ!
もし、信玄が長生きしてたら???
しばしば、信玄がもう少し長生きしていたら?とか、信長と信玄ではどっちが強い?なんてことが話題に上ったりします。
どう思いますか?
信玄が生きていたら、歴史が変わったかどうか?
これには、様々な意見があるんですけど…
世間の常識としては「長生きしても、信長には敵わない」とのこと。
または「信玄は、途中で死んだからヒーローとして記憶に残った」とか。
あーつまんねー!
頭の良い歴史マニアは、言ってる事は正しいかも知れないけど、夢が無い…
たまには「信玄のほうが強いですよ」なんて、言う人いないのかなぁ?