戦国最強と称せられた武田信玄。
では、その強さの秘訣は?
そりゃまぁ、いろいろあるんですけど…いかにも信玄らしい、、ところで言えば合理性です。
戦国時代では、まだ時代的に戦で迷信を取り入れることが、度々ありました。
でも、信玄は現実主義的な性格だったので迷信とか占いなんかより、戦力、作戦、情報を重視します。
現代人にとっては当たり前に思えますが…古いタイプの武将からしたら、信玄は革新的な戦略家だったようです。
今日は、そんな信玄の戦に対する姿勢を表したエピソード紹介します。
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先負けの日は攻撃中止?
武田信玄がクーデターで信虎オヤジを追放した後、次に目指したのは諏訪・信濃方面への侵攻。
信玄がまだ20代の頃の話ですね。
それで、信濃の戦国大名『小笠原時長』(ときなが)と戦っていた時の話…
この日の戦は、決着がつかず日暮れと共に、両軍とも引き上げて行きました。
周りが暗いと、戦いづらいですから。
自分たちの陣地に戻ると、戦略会議を開きます。
そして、武田の陣中では…
「信玄様、明日は先負けの凶日ですから、攻めるのは止めましょう。不吉です!」
「え?イマドキそんな事信じてるの?」
「それに、わざわざ縁起の悪い日に攻めて負けたりしたら、恥ずかしいじゃないですか」
「みんなも、そう思う?」
「(うんうん…)」
「じゃ、なおさら攻める!!時長は古いタイプの人間だから、吉凶を信じて俺たちが明日攻めて来ないと思って、油断してるかも知れないし…」
こうして武田軍は、小笠原時長に不意打ちをブチ込んで大勝利をあげます。
迷信深いのを、逆手に取った作戦なのでした。
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幸運の鳩を撃ち落とす
もう一つ、武田が信濃に進行中の時の話を紹介します。
とある日、庭にいた武田の家臣達が、ウキウキとざわめき立っていました。
これに気が付いた信玄は「みんなどうしたの?」と質問します。
すると、家臣はこう答えました。
「ほら、あれを見て下さい。
庭の木に、鳩が止まっていますでしょ?
これってメッチャ縁起が良いですから、次の戦は勝利間違いなしですよ!」と。
ところが信玄は、それを聞いて鉄砲を持ち出し…ズドーン!と鳩を撃ち落としてしまいます。
(よく、一発で命中しましたね・・)
「あぁ~、せっかくの幸運の鳩が~」
悲壮な声が上がる…
しかし、信玄は言いました。
「今回は鳩が来て、盛り上がっていいかも知れないけど、次の戦に来なかったらどうするの?
来なかったら、気分が落ち込んじゃうよね?
あのさ、戦の勝ち負けは鳩じゃなくて、人間が決めるのもだよ。
ならば、いま鳩を撃ち落として次の戦に勝てば、鳩の呪縛から解放されるっ、てなもんだ。
鳩さんには悪いけど」
これは、縁起担ぎの逆の発想。
わざと縁起をブチ壊して、不吉な思考を断ち切る…というやり方ですね。
信玄は迷信に捕らわれる家臣に、しばしばこのようなデモンストレーションを行い、物事の道理を説明してやりました。
戦の勝ち負けは、天命や吉凶で左右されるものじゃない。
強い者が勝って、弱い者が負ける。
占いや、お呪いで自分を誤魔化しちゃダメだよ…と。
変わりゆく戦の世界
昔の武将は、今考えるとおかしいぐらい迷信を信じていました。
源頼朝などは、非常に神様、仏様を尊重していて「お祭りの日は攻撃しない」
とか、そんな事ばっかりやっていました。
占いや吉凶を、大いに戦に取り入れていたんですね。
そして、迷信を信じて良い事があると「神様のメッセージ、来たぁ!」
みたいに喜んでいました。
でも、戦国時代に入ると、徐々にそういう風潮も薄らいで来ます。
ただ、完全には抜け切らないんですね。
そこで、率先して迷信をブチ壊していったのが、信玄や信長などの現実主義的な武将達。
「占いしてるヒマがあったら、スパイ活動でもして来い」
これが、信玄の強さの秘訣の一つでありました。
そうだ!あと一人、迷信を全然信じない武将がいました。
豊臣秀吉です。