武田信玄のライバル、上杉謙信が信玄に勝てなかったところ…それは「勝ち過ぎない」こと。
勝ち過ぎない方が、謙信にとっては都合が良いように感じますが、それは間違え。
たまには勝ち過ぎてくれた方が、信玄もパワーを消耗してくれるし、どのくらい強いのかもよく分かる。
だけど、小出しに力を出されるとと限界値が分からないし、いつでも余裕があるから、謙信もどのくらいの備えで戦っていいのか心配になる。
非常にやりづらくて、しぶとい。
そしてこれは、信玄の人生観に関わる部分でもあります。
そこで、今回は信玄はどんな思いで戦をし、またどのように家臣を育てたのか?を見てみましょう。
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川中島の戦いで
武田信玄と上杉謙信は、川中島で5回ほど対戦します。
でも、まともにやり合ったのは、4回戦目だけ。
しかし、あれだって濃霧に巻かれなければ、大きな戦にはならなかったかも知れません。
霧で視界が遮られ、気が付いたら目の前に敵が現れたので戦ったけど…
あの戦は、パニックっていうかトラブルみたいなもの。
それでまた、トータルで5戦やった勝敗も、限りなく引き分け。
一応、領土の取り合いでは信玄が勝っていますが、戦闘そのものは五分五分です。
何か…イマイチすっきりしない??
でも、信玄的には『これで良し』なのかも知れない。
信玄の名言でこういうのがあります。
「勝負は五分で上、七分で中、十分で下と為す」
ブッチギリで勝つのは、ヘタな戦であると…なぜ??
それは「五分の勝負は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分は驕りを生ずる」
からなんですって。
信玄的には、五分で戦うのがベストバウト!なのかな?
と言う事は…互いに五分の戦いを10年以上も続けた、信玄と謙信は最強のライバル?
戦ならば派手に敵を叩きのめした方が強そうなんですけど、この二人は小規模な小競り合いとか、睨み合いの中で「コイツ手強いぞ~」と感じ合っていたようです。
面白いですね。
信玄は、あまり無茶苦茶な突撃なんかしない人で…それが信玄らしい性格を表していて、長い目で見ると強さの秘訣でもあります。
川中島でのウダウダした戦こそが、信玄の強さの象徴。
そして、それを見抜いて同じく五分で戦った謙信もまた天晴れ。
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鈍くさい方が丁度良い
信玄は、子供や青年の教育に熱心でした。
小さい頃は行儀作法をみっちり仕込めとか、12歳になったら社会的なマナーや職業意識を刷り込めとか、15歳になったら現場経験を積ませろ…とか、いろいろ言っています。
そこで、面白いのが「人間はちょっと鈍くさいヤツがいい」なんて事も言うんです。
パキパキに、頭が良くっちゃいけないんでしょうか??
これは、さっきお話した「戦は五分勝ちで良しとする」に通ずるところでもあります。
ブッチギリで勝つと驕りが出て来るから、ダメなんですよね?
信玄は「あまり頭の良いヤツは、仕事をなめるから長続きしない」と見ています。
武将でも商人でも百姓でも、経験を繰り返して仕事を覚える領域があるんですけど、表面的に頭がいいヤツは、小理屈ばかりが先だってそこまで続けられない。
それだったら、少し鈍くさくても、愚直に精進して理解や経験を深める方が良い…
そんな風に、考えていたようです。
これって、黒田官兵衛と小早川隆景を比較してるみたいです。
頭の計算が早いのは官兵衛なんですが、秀吉の政権下で採用された法案や政令は、隆景の方が多かった。
人間の考えとしては、隆景の方が役に立ってる…と言う事なんですね。
そして、信玄も隆景タイプの方を尊重していた。
信玄は、子供の頃から聡明な人でした。
でも、オヤジの信虎がパワハラ人間だったので、頭が良いところを素直に表へ出せなかった。
それが、信玄の思考回路に影響しているかも知れません。
武田信玄って、戦国最強説があるぐらいなのでちょっと派手なイメージがありますが、本当の持ち味は、愚直さや慎重な所のような気がします。