豊臣秀吉が日本を平定し、その後戦に繰り出したのは…朝鮮半島。
まず一発目は、1592年の文禄の役ですね。
ここで、日本軍はガンガン半島に進出しますが、ある切っ掛けからどん底の窮地に陥ります。
もう、オシマイかも??
しかし、そんな恐ろしいピンチから日本軍を救ったのが、小早川隆景でした。
その時の隆景の雄姿は、まるで仏の守護神のよう。
はたして、どんな戦いぶりだったのでしょか?
ちょっと、見てみましょう。
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朝鮮上陸
海を渡って、釜山に上陸した日本軍。
一行は、漢城(今のソウル)を目指して進軍します。
すると、あっけなく漢城を占領しここを拠点にします。
そして、次の展開へ…
加藤清正は漢城から北上し、満州近くまで兵を進め朝鮮の皇子を捕虜にします。
一方、小西行長は平壌に攻め込んで、占領。
速攻です。
しかし、この小西行長が…後でヘマをやらかします。
小西行長は、もともと和平派だったので、それ以上奥に進まないで明・朝鮮軍と和平交渉を始めてしまったのです。
そして、交渉の結果「50日間は休戦しましょう」という条約を結びます。
普通に考えると「じゃあ、50日間はお休みです…」となりますね。
でも、戦の最中はそれやっちゃだめなんです。
ゆっくり休んでると、敵軍が襲ってきますから。
で、行長は普通に休んで、ダラ~っとしてしまいます。
「あちゃー」ですよ。
すると、明・朝鮮軍は行長が攻め込んでない間に、作戦を練り直し、戦力を整えます。
そして4万3千の大軍を引き連れた、明・朝鮮軍が襲い掛かかって来ました。
これに対し、小西軍も良く戦ったのですが、火薬倉庫に放火される等して戦闘不能へ。
ついには平壌から、追い出されてしまいます。
(行長の油断が、敵にチャンスを与えてしまった)
そして、小早川隆景は・・・
この後、登場しますからね!
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漢城を守るか捨てるか?守るか?
平壌からの撤退の知らせが入ると、漢城にいた武将達は会議を開きます。
「平壌で勢いづいた敵軍は、必ず漢城に攻めて来るぞ」
「じゃあ、どうやって守るか?」
「漢城は広いから、メッチャ守りづらいよね」
「日本軍の数が足りない…」
「気合いで戦うんだ!!」
武将同士の話合いなんで、どうしても「撤退する」とか「漢城を捨てる」と言えない。
つまり、強気な発言に終始して、現実的な意見が出てこない。
だから、話が全然まとまらない…と言うこと。
そしてこの時、小早川隆景は会議に…いません!!
病気で、欠席していましたので。(ガクッ)
でも、武将達の話の様子は聞いていて、病床にありながら打開策は練っていたようです。
密かに。
病の隆景
そうこうしている間に、明の兵が漢城の間近に迫って来ました。
すると、石田三成や小西行長が隆景の所へやって来て「早く、復帰してくださいよ」
と、せかします。
しかし、隆景は「いや~、まだ調子が悪くって…」
と言って、出てきません。
でも、気になってるはいる…
そこで、彼らから話を聞き出します。
「ところで、会議の様子はどうですか?」
「みんな、やる気満々ですよ」
「食料は、まだちゃんと残っています?」
「いや、それが心配で…諸将は『石食ってでも、漢城は守る』って言ってますけど」
「そうですか、石ですか・・・ちなみに、石食った事あります?」
「ありません…」
これを聞いた隆景は病気を理由に、食料が底をつくのを待ってから会議に出て来ました。
隆景の一声
会議に登場した隆景は、早速意見を求められました。
「漢城を諦めて日本に撤退するのは、武士の恥だと思うんですが…
なかなか意見がまとまらないので、小早川殿の考えがあったら聞かせて欲しい」と。
こうして、ようやく口を開く隆景。
「皆さんのご意見は、もっともだと思いますが、ここは一つ話を整理してみましょう。
まず第一に、漢城は広すぎて、少ない日本の兵では守り切れません。
これでは、まともに明の大軍と対抗できません。
第二は、ここで勇ましく討ち死するより、日本に帰って国の繁栄のために尽くした方が良い…と、思いませんか?ぶっちゃけた話。
第三は、食料はもう、ほとんどありませんよね?
ここにいる皆さんは、ご飯食べなくても戦えますが、普通の兵士では5日が限界です。
彼らの都合も考えると、無理は禁物だと思います。
…というワケで、撤退することは十分視野に入れておいた方が良いと思います」
実はコレ、みんなが思ってい本音の部分。
でも、武将は敵に対して強がるものですから、素直に言えませんでした。
本当は、不安で仕方が無かった…
そこへ隆景がタイミングよく登場し、物事をスッキリと説明し「今は撤退すべし」
と指し示してくれた。
みんな、ホッとします。
こうして、決議は「撤退」で一致し、明日から帰国の準備をする運びとなりました。
これにて、一件落着??
いやいや、これからが隆景の見せ場ですよ~。
唯摩利支天の降臨
めでたく撤退の決定が下り、諸大名たちは帰国の支度を始めるんですが…
帰りたい気持ちが先だって、統率が乱れまくり。
勝手に漢城に放火したり、自分だけ帰ろうとするヤツがいたり…
(撤退する時は拠点に火を付けるんですが、勝手にやったらパニックになります)
これでは、きれいに撤退できません。
敵は間近にいるし、こんなバラバラ状態で引き上げたら、思いっきり後から襲われちゃいます。
口では強そうな事いってたくせに、めっちゃ逃げ腰…
こりゃ、マズイ…と考えた隆景は、改めて釘を刺します。
「無暗に撤退するのは、尻尾巻いて逃げるのと一緒。
だから、ここは敵軍と一戦交えてから退却した方がいい。
何もしないで帰ると、後から襲われ放題になってしまいます。
でも、最後の一戦は私が引き受けますから、みなさんはその隙にササっと逃げて下さい」
しかし「私が盾になる代わりに、みんな逃げて…」と言われて「はい、そうですね」
と流せないのが、日本人武将の性質。
「いやいや、あなただけに苦労はさせない」
「私も、戦に混ぜてもらえませんか?」
青ざめた日本兵たちに、顔色が戻って来ます。
恐怖に震える武将達の目には、隆景の姿が『唯摩利支天』の如く映りました。
(唯摩利支天→仏の守護神)
こうして、日本軍は結束を新たにして、明軍に立ち向かいます。
隆景に勇気をもらった武将たちは、明軍をズタボコにして…
全軍無事に引き上げて行きました。
刑部からの質問
後日になって、大谷刑部が小早川隆景にこんな質問をします。
「隆景さん、この間の撤退戦で聞きたいことがあるんですが…」
「ほーほー、何でしょう?」
「漢城での戦いで、初戦は立花宗茂が思いっきり明軍をブッ叩いていましたが、その後、わざと兵を止めていましたよね?せっかくガンガン攻めてたのに、何でですか?」
「あれは、そのまま追撃すると、明軍に動きを読まれちゃうからなんだよ。
宗茂の軍はメッチャ強いけど、いかんせん数が少なかった。
だから、一撃を食らわすのは良いんだけど、大軍に巻かれるとヤバいんだよね。
ならば、いったんタイミングをずらして、明の予想の外れたところで再攻撃した方が良い。
また、時間を置くことで、こちらの勢力を結集できる。
送れて来る兵士もいるし、全軍揃ったところでガツンとやった方がパワーが出るから」
「なるほど、そういった事情があったのですね…」
文禄の役での撤退戦は日本が圧勝しますが、その陰には隆景の采配による支えがあったようです。