義堂周信(ぎどうしゅうしん)とは、初期の室町時代に活躍したお坊さん。
学問や貿易、もちろん仏教でも活躍したんですが…ちょっと耳なじみないかも?
実は、僕もイマイチ良く分かっていませんでした(*’ω’*)
そこで、調べ直してきたついでにシェアします。
義堂周信について…
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義堂周信とは
義堂周信とは、室町時代の偉い坊さんです。
年代的には、室町時代の初期から足利義満の頃にかけて活躍しました。
宗派は禅宗。
禅宗といえば、足利家御用達ですから、幕府ともガッツリ手を取り合う仲です。
高知→京都→鎌倉→京都
高知県出身の周信は、京都で夢窓疎石(むそうそせき)というド偉い坊さんのところで修行しました。
そして、後に鎌倉に呼ばれ鎌倉公方の足利基氏や、関東管領の上杉氏などに禅宗を教えます。
禅宗を教えるついでに、足利氏満(基氏の息子)の家庭教師も同時にこなす。
鎌倉でのお勤めを終えた周信は、京都に帰り…建仁寺、南禅寺、等持寺の住職となりました。
どれも、プレミアムなお寺です。
足利家のコネがないと、こんなこと出来ません…
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日明貿易
日本と明との貿易は、後に「勘合貿易」と言う形で正式に行われますが…それ以前にも、貿易や交流はやっていました。
(まだ、勘合札は使っていませんでしたが)
で、外国とのやり取りをする場合には、相手国の言葉とか文化を理解していないと相手にしてもらえないんですが、そこで活躍するのが教養の高いお坊さんたち。
中国経由で仏教を学ぶお坊さんは、漢文はバリバリ読めるし、中国文化にも詳しい。
日本は、中国と文化交流をしたいのもあるんですが…ぶっちゃけ、貿易をして金儲けもしたいんです。
そうとなりゃ、お坊さん(特に禅宗)の力を頼りにし、またそのお返しに禅宗の保護もします。
もちろん、周信も幕府の貿易事業に協力しました。
周信は、人間的にも公明正大な人物で、日・明のパイプ役としてはピッタリです。
今で言う、外交顧問みたいな役割ですね。
五山文学
義堂周信は死ぬほど頭の良いお坊さんで、五山文学の全盛期を作り上げます。
・・・ゴザンブンガク??
『五山文学』分かりますか?
僕は知らなくて(*´з`)…同レベルの人もいるかも知れないですから、一応説明します。
五山文学とは、禅宗のお寺で研究されていた中国の古典文学のことです。
中国の思想とか、哲学とか、文芸などなど。
諸子百家とか、四書五経とか、漢詩とか…凡人には一発で眠くなる学問です。
そういうのをメッチャ研究して、誰よりも理解していたと言う…周信。
で、さらに最盛期までを築き上げちゃった。
とりあえず、普通の脳みそでは無いですね…
ちなみに、五山文学をリードしたのは周信以外に、春屋妙葩(しゅんおくみょう)、絶海中津(ぜっかい ちゅうしん)なんて人達がいますが、いずれにしても夢窓疎石のお弟子さんたち。
僕には五山文学が何たるかを1ミリも語れませんが、義堂周信が超頭が良い人だってことは分かって下さい…