北山文化と東山文化は、室町時代に興隆した文化。
しかも、両方とも公家文化と武家文化と禅宗文化をミックスしたもの。
「じゃあ、この2つってどう違うの」
こんな風に疑問を持ってる人、いませんか?
とりあえず、僕は良く分っていませんでした(*´з`)
そこで、両者の違いを調べてきましたので…これを機に皆さんとシェアしたいと思います。
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北山文化VS東山文化 大きく違うモノ3つ
①金閣寺と銀閣寺
金閣寺が北山文化で、銀閣寺が東山文化。
この辺の違いは、皆さんご存知だと思います。
金ピカで派手派手の金閣寺は、北山文化の象徴。
エネルギッシュでオラオラした感じは、文化の担い手であった武士たちの気概を感じます。
一方、シブい佇まいの銀閣寺は、大人っぽい感じ。
仏教のテイストが程よく醸し出されていて、深い味わいです。
寝殿造の金閣寺に対して、書院造の銀閣寺。
現代の日本人だと、銀閣寺の方が感覚的になじみやすいかも?
金閣寺が、ダメってワケじゃ無いんですけど…
②義満と義政
北山文化を推し進めたのは、3代目将軍足利義満。
イケイケタイプの義満は、幕府の権力をガツンと高め、日明貿易でガッポリ儲けます。
そういう人だから、金閣寺に本当に金を貼っちゃうんですね。
金貼りにしたのは金閣寺だけですが、「これぞ!」と思う文化活動には沢山お金を使ってくれました。
おかげで北山文化は、武士の発信した文化として勢いよくスタートできました。
東山文化の時は、8代目将軍足利義政が登場。
義政はバリバリの文化人で、文化活動をやりたくて将軍を辞めちゃった人です。
根っからのアーチストだから、文化に対する造形は深い。
しかしこの当時の幕府は、義満の頃に比べ貧乏でした。
ただ、貧乏なんだけど…芸術センスは義政の方が上なので、素敵な文化が産まれます。
③武士的と仏教的
金閣寺に代表される北山文化のイメージは、明るくエネルギッシュ。
これは、パワフルな武士の気概が色濃く表れているから。
お公家様のみたいにおとなしくないから、元気な印象を受けます。
基本的には、従来の貴族文化を見習っていますが…
一方、銀閣寺的な東山文化は、シブくて物静かな感じ。
仏教の影響が、大きく反映されているからです。
本来が体育会系の武士でも文化が出来ることを北山文化が証明したので、東山文化ではわざと「文化文化」させる必要もない。
そこで自分たちの生活になじみ深い仏教を反映して、それが良い感じでわびさびとなって表れます。
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文化を担った人たち
北山文化を支えたのは、武士たちのエネルギーでした。
それも、力のある上流武士。
もちろん各種の芸術家(画家、能を演じる人etc)、文学者、貴族なども参画していますが、武士のパワーがあってこその北山文化。
武士のお金とか情熱を文化に注ぎ込んだのです。
東山文化では一般の人たちにも広がりを見せ、農民や町民も参画しています。
農村での田楽能などは、かなりハイレベルなものもありました。
銀閣寺で用いられた書院造は、武士、貴族、僧侶の住宅にも取り入れられ、現代の和風住宅の基本になっていますね。
そして、今まで京都中心だった文化が地方にも流れ出したのも、東山文化の特徴です。
時代背景
北山文化の時代は、室町時代の前半ぐらいの時期です。
この頃は幕府も力があって、景気も良かった。
北山文化の義満は、ヤリ手将軍なので日明貿易でもガッツリ稼いでいます。
だから、金閣寺に金箔を貼れるほどの余裕があったし、芸術化や文学者をしっかり支援できました。
これまでは、武士が中心となって発信した文化ってあまりなかったんですが、北山文化のおかげで、めでたくスタートを切ることができます。
東山文化の時代は、室町時代の後半部分。
東山の時代になると、応仁の乱に突入したり…不穏な世の中になってしまいます。
そして幕府は金欠になり、文化に羽振りよく金はかけられませんが、文化的な素地は北山の時に出来ていますから、あとは何とかなりました。
銀箔は貼れなくても、銀閣寺はカッコいいし…
また、山口の大内氏(西の京)や鹿児島の島津氏(薩南学派)、栃木の足利学校など、地方で独自文化が開花したのもこの時代です。
まとめ
北山文化→金閣寺、室町前半、武士的、足利義満、華やか。
東山文化→銀閣寺、室町後半、仏教的、足利義政、シブい。