年がら年中、戦で闘っていた上杉謙信。
その強さたるや…謙信の「け」の字を聞いただけで、みんな逃げて行きました!
「謙信が来る」と分かれば敵は城の門を堅く閉じ、味方でさえも何かとばっちりを食うんじゃないか?ってガタガタ、ブルブルです。
そして、通り過ぎると「ああ~、ホッとした・・・」
鬼より怖い、謙信軍団!?
とは言うものの…謙信は恐れられるばかりでなく、武人としての敬意も受けています。
なぜか??
それは、謙信の侍としての志が、とてつもなく高かったから。
「謙信はメッチャ怖いけど、最高の武人である」と。
そこで、今日は「武人謙信」の生き様に触れるエピソードを紹介します。
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平家物語に出て来る「鵺」というモンスター
上杉謙信が20歳の時でした。
その日、謙信は石坂検校(けんぎょう)という琵琶法師に頼んで、平家物語を語ってもらいます。
そこで、検校が選んだのは「鵺」(ぬえ)のストーリー。
鵺とは頭がサルで、体がタヌキ、尻尾がヘビ、手足がトラというワケの分からん妖怪。
そんな鵺を退治するお話でした。
物語ではこの鵺が、夜な夜な現れて気持ち悪い声で鳴き、それを源頼政が矢で撃ち落として、猪隼太(いのはやた)がトドメを刺す、、という流れでした。
いいじゃないですか!
スカッとしますよね、ヘンな妖怪がいなくなって…
ところが、謙信はその話を聞いて、めちゃくちゃガッカリした様子。
涙まで流して。
どうしたの?謙信。
そこで、周囲の人たちがワケを訪ねました。
すると…
「私には、武人の威力があまりにもパワーダウンしたのが、残念でしかたが無いのです。
平安時代の鳥羽天皇のころでは、妖怪が出ても源義家が弓を持っただけで、逃げ出しました。
ところが頼政の時代になると、何たる落ちぶれよう。
義家から頼政の時代まで、40年しか経っていないのに…
武人が妖怪相手に、わざわざ弓矢を討たなきゃいけないなんて、悲し過ぎます。
これは、武人が妖怪にナメられている証拠。
そして今では、武人はさらに弱くなり、頼政ほどの人物でさえヒーローになれる時代。
これじゃ、あまりにも情けない。
もちろん、義家のような武人になど、遠く及ばないでしょう」
・・・バカなのでしょうか?謙信は。
妖怪の話を真に受けて。
現代人なら、そう思ってもおかしくはありません。
しかし、それは現代の人がさらに弱くなった証拠。
現代人は鵺の存在すら気付かないし、現れたらきっと「怖い~」って、逃げ出しますよ。
鵺にビビっているようじゃ、絶対に戦なんかできません。
謙信にとって、武人たるものは妖怪の一匹や二匹など、デコピン一発で撃退できないとダメなんです。
武に生きる者には、怖いものなど一つもあってはならない。
空気吸ってるだけで強くないと…「そうあるべき」だと思っていました。
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春日山の「不識庵」
このように、謙信は「武」と言うものをとても尊んでいました。
単に、腕っ節が強いから「武人」じゃないんです。
謙信は居城を春日山に置いていましたが、ここに不職庵(ふしきあん)というお堂を建てます。
不職庵では、戦で命を失った武士を謙信自ら厚く弔い祀っていました。
「・・・あなたは過日の戦で死んでしまいましたが、その栄誉は消して忘れません。
もし天国でお会いする事ができましたら、ぜひ一杯やりましょう」と。
家臣達は、そういう謙信の姿を日頃から見ていますので、戦に臨む時の安心感が違います。
「オレ達が戦で死んでも、きっとウチの大将はどこまでも面倒を見てくれる」
武将は、単なる戦の道具ではない。
武人として生きる事はそれ自体に価値があり、戦の勝ち負けは結果論でしかない。
明日の命の保証など無い、熾烈な戦場で生きる者たち。
もはや、彼らの心の支えは信じることのみ。
武人の誇りを信じて。
それは軽々しい絵空事ではなく、自分たちの大将が命を張って体現している。
自分たちの目の前で。
「そうだ、これこそが真の武人の人生!」
上杉の軍が強いのは、そんな謙信の姿があったからこそ。
さらに、謙信の生き様は、他国の武将からも尊敬を集めていました。
謙信が「軍神」言われるゆえんは、ここにあります。