上杉謙信は、毘沙門天を厚く信仰していました。
この辺は、皆さんよくご存じですよね。
ところが、謙信って迷信とか、お呪いみたいなものは全然信じていません。
どういうこっちゃ??
スピリチュアルな人なら、それ系の話とかお作法なんか好きでしょ!?
なんだか、辻褄が合わない感じがします…
でも、これから紹介するエピソードを読めば、一気に納得です。
毘沙門天を信じる意味も、謙信にとっては、普通の神頼みとはチョット違うのでした。
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謙信と毘沙門天
毘沙門天とは、仏教を守る武神の一人。
一方、上杉謙信は幼少よりお寺で修行して、暇がある時は戦のシュミレーション遊び。
大きくなって、戦に出ればメッチャ強い。
仏教と戦・・・
この二人、思いっきりご縁が深そうですね。
そして、実際に謙信は毘沙門天を深く信仰し、毘沙門天は謙信の戦に駆けつけています?(→ 泥足毘沙門天の伝説)
相思相愛の謙信と毘沙門天。
なんだか、普通の人にはついて行けない世界です。
目に見えない世界だし。
ところで、こういう人が国のトップにいたら、チョット不安な感じがしませんか?
いきなり、ワケの分からん政策を打ち出して来そうで…
でも謙信は、その点大丈夫でした。
信仰心は篤いんですが、古臭い迷信とかお呪いは信じていません。
意外な感じがしますね。
というのは、謙信はコテコテにスピリチュアルなんですが、行政や戦ではとても合理的な考えの人でした。
それじゃ、精神世界は謙信の趣味?
いやいや…それが、そうでもないんです。
謙信の毘沙門天信仰は、バリバリの本物。
それでいて、戦も行政もキチンとこなしています。
どういうこと?
これって一見しっくりこないんですが、謙信の中では、ちゃんと折り合いが立っている…
そして、それを表すこんなこんなエピソードがあります。
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毘沙門天がいなくても、謙信でOK?
ある時、上杉の隣国で一揆が勃発します。
一揆って、隣国であっても気になるんですね。
それが戦の切っ掛けになったり、連鎖反応して自国にも影響があるかも知れないので…
そこで謙信は、隣国の様子を偵察するために、忍者部隊を送り込みます。
上杉では忍者隊を発動する時は、いつもやっている慣わしがありました。
それは、毘沙門天のいるお堂の前で、誓いの文章を書かせること。
神様に誓っちゃうと、約束を破りづらいから?
ま、それはそうと…
ところで、ちょうど「毘沙門堂に行こうかな~」タイミングに、たまたま用事が立て込んでいたので、忍者たちは毘沙門堂まで行くヒマがない。
困った…
そこで、謙信は言いました。
「毘沙門堂まで行ってると時間のロスになるから、私の前で誓文を書きなさい…」と。
しかし、それを聞いた家臣達は戸惑います。
「今まで、誓文を書くときは、ず~っと毘沙門堂の前で書いてたじゃないですか!
こういうのは、毘沙門の前で書くから意味があるんですよ」
すると謙信は、微笑んで答えます。
「うんうん、確かにそうだね。
でも、毘沙門天は私がいるからこそ、、活躍できるんだよ。
それに、私は毘沙門天にぶら下がって信じてるのではない。
だから、通常は毘沙門堂の前で誓うけど、くそ忙しい時はこの私でもOKです」
つまり、謙信は毘沙門天を信仰しつつも、それは「すがっている」ワケでは無い、と。
謙信にとって毘沙門天とは、パートナー的な存在である、と。
毘沙門天が上で、謙信が下、、みたいな関係ではないらしい。
ならば、謙信の前で誓文を書いても良いし、迷信やお呪いに振り回される事もない。
そういう事だったんですね…
謙信は、毘沙門天を信じると同時に自分も信じていた。
そう考えると、ますます謙信はイッちゃった人…みたいな感じがします。
でも「生涯70戦ほぼ無敗」の戦歴を勘案すると、やっぱ神様!?
「我、神仏を尊びて、神仏を頼らず」
実はコレ、上杉謙信の言葉じゃなくて…剣豪・宮本武蔵が残した言葉。
でも、言ってる意味は謙信の考えてる事とほぼ同じ。
ぶち抜けた人は、普通の人とは思考回路がちがいます。
凡人は、なかなかここまでの境地に立てません。
せいぜい、謙信の歴史に思いを馳せる程度。
昔の人は偉かった・・・