戦国時代に、突如現れた「セミナリオ」。
学校の日本史の時間に習いましたね、、コレジオとセットで。
どっちもキリスト教の学校のことなんですが、セミナリオとコレジオではちょっと違う。
で、今日はセミナリオの方のお話。
セミナリをで何を勉強したのか?とか、どんな人が通っていたのか?など。
簡単に書いてあるのて、サラッと読んで楽しんでください。
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セミナリオとは
セミナリオとは、キリスト教の学校のこと。
キリスト教の小中学校みたいな感じです。
セミナリオに似たものにコレジオって言うのがありますが、コレジオは大学。
戦国時代にフランシスコザビエルが来日して以来、日本にもキリスト教が広まります。
それは、大人はもちろん子供にも広まって行きました。
子供はべつにキリスト教だろうが仏教だろうが、どっちでも良いんです。
でも、お父さんお母さんがクリスチャン(キリシタン)だと、やっぱ自分の子供もクリスチャンにしたいんで、キリスト教を教え込みます。
そこで「おい、息子!おまえ明日からセミナリオに行け」となります。
当時は、小学校とか公文などありませんから、学業をしようと思ったらお寺で学びました。
で、それがキリシタンのお家だとセミナリオ、、というワケです。
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セミナリオで何を学ぶのか
さて、セミナリオで子供たちは何を勉強したか?
そりゃ、キリスト教に学校だから、イエス様とか聖書のことを勉強します。
もちろんです。
でも、それ以外にもラテン語の勉強とか、古典文学、体育、音楽なども学んでいます。
あと、時々お弁当をもって遠足もしていた様子。
なんか、、現代の学校と似ていますね。
中でも、音楽教育は力を入れていて、フルートやオルガンを演奏したり、ラテン語で聖歌を歌っていたようです。
アベマリアなどは、当時から歌っていました。
想像してみてください・・・戦国時代の子供たちがラテン語でアベマリア♫
ものすごいギャップを感じますね(*^▽^*)
また、クリスチャンの学校ですから、クリスマスとかイースター祭もやっていました。
どんなクリスマスだったのでしょうね?
とりあえず、赤いサンタクロース&プレゼント、、みたいなチャラチャラしたヤツじゃ無いという話。
チキンは食べたのかなぁ?
ちなみに、一部の戦国大名の間では「クリスマス休戦」なるものがあった様子。
面白いですね。
天正遣欧少年使節・セミナリオのエースたち
セミナリオは安土城の横とか、長崎県の島原などにありました。
で、長崎の方のセミナリオで優秀な生徒を選抜して、天正遣欧少年使節を結成しました。
栄えある少年使節団のメンバーは、伊東マンショ、中浦ジュリアン、千々石(ちぢわ)ミゲル、原マルチノの以上4名。
使節の目的は、本場のキリスト教を学ぶことと、ローマ教皇に会って日本の布教活動を応援してもらうとこ。(お金ちょうだい…って話)
一行は苦労末、ヨーロッパにたどり着きます。(2年以上かかりました)
我らが少年使節団は、武士の正装(袴、足袋、草履)+帯刀でヨーロッパの街を闊歩!
そして、歓迎パレードでもって迎えられ、王様や教皇にも会います。
ポルトガルの王様は、日本刀を間近で見せてもらうと、刀の造りの精巧さや美しさにぶったまげていました。
ローマ教皇は、少年使節団との対面にむちゃくちゃ感激して、涙が止まらなかったそうです。
「君たち、よく来てくれたね!」って。
日本人クリスチャンによるヨーロッパ来訪は、当時の世界ではド肝を抜く大事件でした。
ぼくらが習った歴史の授業では、サラッと流されてしまいますが、キリスト教の世界では大きな出来事だったのです。
そんな快挙を成し遂げたのは、セミナリオを卒業した4人の若武者。
もう少し注目しても良いと思いませんか?