彦根藩の井伊家が引き継いだ武田の「赤備え」
それは、戦国時代のカリスマが生んだ最強を象徴するシンボルでした
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「赤備え」の意味とは?
赤備えとは、 鎧や武具が全部赤く統一された戦の部隊。
赤備えの元祖は、武田家の重臣飯富虎昌と言われています。
虎昌は、 配下の武士たちの持ち物を全部赤く塗ってしまい 、戦場ではめちゃくちゃ目立っていました。
そして、これには深い訳があったんですね。
まずは、味方の軍団を全部真っ赤にすると、敵味方の違いが一目で分かり分かります。
これは大きなメリットで、 戦場で味方の存在が分かると非常に戦いやすい。
練り上げた作戦を展開するのに、遠目からでも一目でわかるから指揮が取りやすいんです。
また、仲間の存在がぱっと見て分かると、安心感や団結力に繋がり全体としての戦力が上がる。
あと、特筆すべき効果として、視覚的に敵軍への威嚇効果もあげられます。
戦場で、真っ赤な軍団がドバーッと押し寄せてくると、ものすごいプレッシャーを感じるらしい…
飯富虎昌が赤備えにこだわったのは、 経験的に上赤い軍団の戦力アップを肌身に感じていたからです。
そして、その後飯富虎昌が死ぬと、赤備えの点灯は弟の山県昌景に受け継がれました。
山県昌景は、 強い武田軍の中でも最強のファイター。
そんな山県昌景が赤備えを継承したものですから、 武田の赤い軍団はより一層パワーアップしちゃいます。
戦場で敵軍が山県昌景の率いる真っ赤な部隊に遭遇すると、鬼か悪魔の大群のよう感じた様です。
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赤い恐怖で支配された家康
徳川家康は三方原の戦いで山県昌景の軍団に追いかけまわされて、心に、¥トラウマを抱えるようになります。
どん底の恐怖を味わった家康は、うんこを漏らしながら戦場から逃げ出し「 武田には絶対勝てない」という劣等感を刷り込まれる。
徳川には「東国随一」とまで謳われた、本多忠勝という武将がいます。
しかし、本当の「東国随一」とは山県昌景のこと。
東国随一の山県昌景が長篠の合戦で死んでくれたからこそ、本多忠勝は東国随一と呼ばれるようになりました。
山県昌景が武田勝頼の作戦ミスで死ななければ、本多忠勝は2番目の存在であったと思います。
ところで、 武田家が滅亡すると、武田系の武将たちが大勢徳川に転職してきます。
恐怖の赤備え軍団が、徳川に入ってくれるのだからこれほど心強いものありませんよね。
(信長には「武田武士を雇っちゃいけない」と言われていましたが…)
彦根が引き継いだ赤備え
そして、武田から徳川に流れ込んできた赤備え軍団は、井伊直政の指揮下に置かれるようになりました。
それを見た本多忠勝は、井伊直政に激しい嫉妬の炎を燃やします。
「ちょっと待ってくれよ! 東国随一の栄冠を受け継いだのはこの俺だぜ。
って事はさ、直政の所の赤い軍団は本多グループに入らなきゃダメだよ~」
でもそれは、家康が与えた指示。
武士の世界は上からの指示に逆らえないんです。
だからこそ、その不満が直政に向けられ 、二人の関係は一時ギクシャクしたものになりました。
まあ、その葛藤はおいおい解消されていくのですが…赤備えのブランド力はそれほどまでに、武士の憧れの的でもあったのです。