信長包囲網の第二弾。

武田信玄亡き後、包囲網の主役は上杉謙信に託されました。

信玄も恐ろしいかったですが、謙信も怖かったなぁ。

足利義昭もここまで信長を追い詰めるとは、大したものです。

信長と謙信の同盟

打倒信長を目指して築いた、足利義昭の信長包囲網。

しかし、それは武田信玄の死を切っ掛けに、惜しくも崩れ去ってしまいます。

 

信長は京都から義昭を追放し、更なる勢力拡大に突き進みます。

各地の有力な大名たちと時には同盟を組みながら、あるいは敵対しながら…。

 

目指すは日本全国の統一。

 

そんな中、各地の大名で一番気をつかったのが、かの上杉謙信です。

なぜ、そこまで神経を使うかって?

そりゃ、決まってますよ…謙信が怖いからです。

 

武田信玄が死んで信長のストレスはだいぶ軽くなりましたが、謙信だって怖いんです。

出来れば、敵対しないでやり過ごしたい相手です。

 

そこで信長は、謙信に同盟を申し込みます。

 

京都と越後じゃ、だいぶ距離があってご縁も無いだろうと思いますが…

武田家や加賀の一向宗といった勢力は、織田と上杉の共通の敵。

 

ならば「一緒に手を組みましょう謙信さん…」とラブコールを送る信長。

謙信は「お願いします」とか「助けて下さい」と言われると断れない性格。

 

さらに信長は、馬マニアの謙信に南蛮渡来の名馬を贈ります。

たかだか馬一頭ですが、ツボを刺激された謙信は心がメロメロ…。

 

こうして、信長を謙信は同盟関係を結ぶ事に至りました。 

(この同盟は1575年まで継続しました)

 

 

第二の包囲網

せっかく築いた同盟、できれば末永いお付き合いをしたいところですが…

その翌年になると、事態は一変します。

 

上杉は、長年に渡って争ってきた越中の一向宗との和睦に至ります。

そして、信玄後の武田家と同盟締結。

 

こうなると謙信としても、信長と仲良くする意味が無くなります。

いや、むしろ信長との同盟関係が邪魔になって来るのです。

そして、謙信は信長との対決する姿勢を打ち出して来ました。

 

実はこれらの動きの裏で蠢いたのは、足利義昭の策略。

 

さらには、信長と対立していた石山本願寺を毛利の水軍が川をさかのぼって支援します。

(織田水軍も対抗しますが、ボコボコにやられる始末…)

 

もう一つオマケに、織田家の傘下にいた波多野秀治、荒木村重、別所長治、松永久秀。

この人達が一斉に反乱を仕掛けて来ます。

 

もう、しっちゃかめっちゃかでした。

外からはガンガンプレッシャーをかけてくるし、身内はぐちゃぐちゃだし…。

(それもこれも、足利義昭の手腕によるものです)

 

こうして、義昭の執念によって第二の信長包囲網が完成します。

信長は再び窮地に立たされました。

 

 

謙信の挙兵

信長との同盟を捨てた謙信。

敵味方の配置がすっかり変わり、次の標的を能登の畠山氏に定めます。

(畠山氏が内乱でゴタゴタしていたので…)

 

出陣した上杉軍は畠山氏の七尾城を取り囲みます。

これに対して、畠山氏は信長に援軍の要請。

 

信長は柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉などのそうそうたる顔ぶれを能登に向かわせました。

しかし、織田の支援軍が到着する前に七尾城は陥落。

(途中で秀吉を勝家がケンカしちゃった…)

 

あちゃー、城に到着する前に負けちゃったよ。

仕方ないですから、そのまま退却する織田軍…。

 

ところが、そんな織田軍団を待ち受けているヤツがいました。

上杉の軍隊です。

 

手取川付近に出現した上杉軍は、退却したい織田軍をボコボコのズタズタにしました。

みじめに負けて行く織田軍。

 

当時の人は、織田軍が惨敗する様を見て「織田飛ぶ長」と小ばかにします。

(「信長が飛んで逃げる」という意味、諸説ありますが)

 

こうして信長は、謙信の怖さを肌身に感じるワケです。

くっそー、やっぱ謙信は強よいな~!

 

 

信長危機一髪

織田軍を倒した上杉軍は、ひとまず春日山城に帰りました。

そして勝利の感触を確かめつつ、次なる遠征の策を練る謙信。

 

このまま一気に上洛を目指すか?

それとも、関東に向かって北条を叩き潰すか?

 

順風満帆の第二次信長包囲網。

信長も「マジでこりゃヤバいな~」と思ったことでしょう。

義昭はきっと、狂喜乱舞ですね…。

 

しかし、その翌年(1578年)いよいよ謙信の上洛か!?

というタイミングで、信長包囲網は意外な結末を迎えました。

 

上杉が遠征を控えたほんの数日前。

ある雪降る日の事、おトイレに入ったはずの謙信が…帰って来ない。

様子を見に行くと、、ありゃ~トイレでぶっ倒れているじゃないか!

 

それは、突然の幕切れでした。

死因は脳梗塞とか、脳溢血とか…。

(享年49歳)

 

謙信を失った上杉家では途端に後継ぎ争いに火が付き、上洛どころの騒ぎでは無い。

(景虎vs景勝)

 

さすがの義昭でも、ここまでは予測していなかった事でしょう。

そして、このハプニングに救われた信長。

まさに間一髪でした。

(信玄の時もそうでしたが…)

 

かくして、打倒信長のための第二の包囲網はもろくも崩れ去りました

 

その後の信長は、西へ東へを勢力を拡大して行きます。

本能寺の変で果てるまで…。

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