今回は結城晴朝の紹介です。
波瀾万丈の人生でした。
苦労人、晴朝。
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結城晴朝 下総国の名門
結城氏は藤原家の流れを汲む、名門の武将一族。
晴朝はその家の15代目の当主(養子なんですけど…)。
本拠地は茨城県の結城市。
今でもあるあの結城市、なんですね。
昔の言い方だと、下総国結城郡(しもうさこくゆうきぐん)。
まぁ、名門て言ったって遊んで暮らしていけるほど悠長ではありませんでした。
時代の荒波を乗り越えたり、かわしたりしながら生きていかねばなりません。
晴朝の時代は思いっきり戦国時代の真っただ中。(信長と同じ生まれ年、1534年)
周囲の勢力状況は目まぐるしく変わります。
結城氏は守護大名をやった事もありますが、あまりパワーの無い大名なので回りの影響を思いっきり受けます。
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北条、上杉、豊臣へと乗り換える
だからその当時では、北条が強くなると北条に従い、上杉が強くなると上杉に従う。
よく分からない時は、宇都宮氏や佐竹氏とくっついてグループを作ったりしました。
そして時代が進み、秀吉が強くなると秀吉組に入ります。
ある日、晴朝は秀吉に言いました。
「秀吉さんの子供をください。ウチの次期当主をやって貰いたいんで…」
(要するに、親戚になって仲良くして下さいという意味)
でも、くれたのは徳川家康の子供(秀康)でした。
というのは秀康は徳川の人質として秀吉の養子になっていたのです。
それで、その養子「秀康」が結城の所にやってきました。
使い回しです。
人から貰ったお歳暮を別の人にあげちゃうのと一緒。
今度は徳川
とは言うものの…家康の子供ですからもらっておいて損はなかった?
関ヶ原の合戦を経て今度は家康の時代がやって来るのですが…実はこのとき結城家は、氏族としては消滅しちゃうんです。
しかし、結城には「秀康」という切り札がありました。
家康としても自分の子供だから放っておけないワケです。
だから、それなりの領地を与えます。
秀康は姓を「結城」から「松平」にもどして越前(福井県)に68万石の大名として転封していきます。
そして、結城朝晴も一緒についていきました。
残ったのは「結城」の名前だけ
なんか立場が逆転しちゃった様ですけど、
今までもこうして、しぶとくやってきました。
これくらいの変化なら、とくに問題無し。
名門結城家のプライドも少しはあるけど、そもそも自分が養子なんで深く悩む事もなし。
(少しだけがっかりしました)
生きている事に価値があるのだ。
しかも、下総国の結城の土地はキープしたまま。
(さすが将軍家ですね、待遇が良い)
秀康の五男が結城を名乗ってくれましたし、ボチボチではないでしょうか。
最終的には、徳川に結城が乗っ取られた様な状態になりましたけどね。
※なお、「結城」の名前もその後名乗られなくなり消滅します。
ただ唯一、結城の家紋だけは残りました。