ここ最近、世間では応仁の乱がちょっとしたブームのようですね。
知らなかった…。
本屋さんで面白そうな雑誌とか書籍をよく見かけます。
スポンサーリンク
応仁の乱、歴史のテストで「◯」はもらったけれど…
「ひとよむなしい(=1467)応仁の乱」
中学生の頃、暗記しましたよね。
これを切っ掛けに戦国時代が始まります、と習いましました。
では、その中身をどのくらい覚えているかと言うと、イマイチ自信が無い…という人多いんじゃないでしょうか?
でもいいんです、それで。
分からなくて当然なんです。
応仁の乱って,複雑怪奇でややこしい戦乱ですから。
全部説明すると5分や10分じゃ収まらない。
今回は、そんな「応仁の乱」の面白い所だけを摘んでご紹介します。
せっかく年号まで覚えたんだから、もうちょっと楽しんでみましょう。
「人世空しい…」とは正にその通りで、応仁の乱とはパンドラの箱をひっくり返した様な戦でした…
スポンサーリンク
応仁の乱の原因とは?
応仁の乱とは足利8代将軍、足利義政の時に起こった大きな戦でした。
次の将軍の座を争い将軍の弟、足利義視(よしみ)と将軍の息子、足利義尚(よしひさ)がバトルします。
そして、それが室町幕府の家臣や大名達を巻き込んで、後でとんでもない大騒動に発展するのです。
優し過ぎる将軍、足利義政
将軍の義政は、8歳の頃(!)から将軍をやっていましたけど…元々の性格が将軍向きではありませんでした。
自分の権力を強めようとか、人を押し抜けるとか、歯向かうヤツは退治しちゃうとか、そういう事には、それほどは興味ナシ。
それよりも文化や芸術の方が好きで、政治家というよりはアーチストな人でした。
(まったくやる気が無いワケじゃないんですが…)
…で、義政自身も思うワケです。
「あ〜早く将軍辞めて、芸術活動したいなぁ」って。
でも、義政には後を継がせる息子がいない。
将軍で子供がいないって大変ですよね。
そこで終わっちゃマズいですから。
そこで、いよいよ
「やっぱ、オレ将軍に向いて無い。子供のいないしさぁ。」と考えます。
悩んだ義政は弟の義視に相談します。
自分の代りに将軍をやってくれないか、、と。
すると、とりあえずは断られます。
だって、弟の義視はお寺でお坊さんをやっていたし、義政だってまだ30歳かそこらで、まだまだ子供の2、3人出来てもおかしく無い年齢ですからね。
しかし、諦めない義政。
何度もしつこくお願いします。
すると弟の義視も折れて、やっと将軍になる決意をします。
ただ将軍なんか今までにやった事無いですから、足りない所は
家臣の細川勝元(優秀な人です)がサポートするという条件付きです。
次期将軍は弟に決定!と思ったら…
そんなこんなで、いよいよ新将軍の登場か?と思いきや、、、
オーマイガー!!
このタイミングで、将軍義政と奥様の富子さんの間に男の赤ちゃんが出来ちゃいましたよ、幸か不幸か?
(赤ちゃん→足利義尚、よしひさ。次期将軍)
将軍義政はあれだけ弟に頼んで、将軍職を受けて貰ったのでもちろん、次の将軍は弟の義視でいくつもりだったのですが…奥様の「富子さん」がOKしてくれません。
富子からすれば、やっとできた自分の子供です。
「私の息子を将軍にしたい」と言う思いは母心としては当然かも知れない。
じゃ、ご夫婦でよく話し合ったら?って思うんですが、そうはいかない。
話し合うと将軍が負けるんです。
こちらのご夫婦は「かかあ天下」ですから。
天下の将軍でさえも、奥さんにとっては座布団なのです。
跡継ぎ問題が大戦の切っ掛けになった
そしてさらに、弟の義視をサポートしている細川氏も後に引けない。
だって、息子の義尚を応援しているのが細川氏のライバル、山名氏なのですから。
ここは細川氏としては負けたくない。
しかし、それは山名氏だって同じ。
だから互いに張り合って他の大名を引き入れて、パワーアップします。
そして、この動きはどんどん拡大し、日本中の大名を巻き込んだ「応仁の乱」へと発展して行きます。
それは…
東軍(義視、細川グループ)16万 、
西軍(義尚、山名グループ)11万に別れての大バトルでした。
先ず一発目は、東軍の大名、赤松政則が播磨国(兵庫県)に攻め入ります。
結局、どっちが勝ったの?
10年以上も続いた大戦の応仁の乱。
さて、その勝敗は…。
西軍(足利義尚)かな…?
微妙に勝ってる感じ。
とりあえず、義尚が将軍の座には就いていますから。
とは言うものの、これがよく分からないのです。
イマイチ勝ち負けがはっきりしていないんですね。
フェードアウトして、なんとな〜く戦がおわりました。
一応、東軍の義視が「まいりました、私の負けです」
みたいな事を言っていまして、
これを受けた将軍義政は「わかりました、じゃぁ今までの事は無かった事にします」
と答える。
あれ?それってどういうこと?ちょっと、おかしいんじゃない?
そもそも、兄ちゃんが弟に将軍を替わってくれって言う話だったじゃん!
実は応仁の乱は将軍の入れ替えだけで語れる戦では無いんですけど…なんだか、一番大事な事がうやむやになってる気がする。
あれだけの大パニックになっておきながら「なんのこっちゃ?」という話。
結果手的には、足利「義尚」が次期将軍に成りましたけど、その次の将軍は足利「義視の息子」が継いでいます。
仲良く?順番こで。
だったら、はじめからそうすれば良かったじゃん…と思うんですが
それが人の性というもの。
痛い思いをしないと物事が理解出来ないのです。
…で、ぶっちゃけた話どっちが勝ったかと言うとですね…両方負けですよ。
この戦は。
戦ったおかげで、多少勢力図の配置は変わりましたが、それで何かが進歩したり、発展したという訳ではないんです。
オレ達の大将誰だっけ?
戦の途中では敵味方の大将入れ替わったり(当初、義視派だった細川氏が後で義尚を担ぎ上げる→義視は敵の山名氏に拾われてトップに担がれる)
大名の間ではその時の損得勘定で敵になったり、味方身になったり、足軽は戦そっちのけで火事場泥棒みたいな事してるし…。
まったく、意味がワカラン。
ぐちゃぐちゃ状態。
…で、応仁の乱が起こったおかげで室町幕府は体力を失い、他の大名達への統率力が弱まり…そして、戦国の時代へと突入していきます。
ちなみに、東西の軍の司令官
細川勝元、山名宗全は応仁の乱の途中で無くなっています。
(戦死じゃないです)
なんだか、主役のいなくなったドラマみたいですね…。
日野富子という悪女
さっきもチラッと出て来ました「日野富子」と言う女性。
応仁の乱を語る上では欠かす事の出来ない人物です。
この人は8代将軍足利義政の奥様でして、これがまたクセ者なんです。
彼女こそが応仁の乱の元凶と言いたくなる程、イタい人でした。
世間では富子の事を「日本三代悪女」の一人として数えています。
(ほか2名 北条政子、淀殿)
僕もそう思います。
きっと、ギャーギャーうるさい女性だったのでしょうね。
ヤンチャな女
富子は名門日野家(京都の貴族)の出身です。
セレブ様なんですね。
ですから、結婚のお相手もそれなりのお家柄の人を選びます。
そして、将軍のお嫁さんになりました。
こういう人はウマの骨とは結婚しません。
さて、この富子さんは
将軍の跡継ぎ問題にいらぬ口を出し回りの人々をブンブン振り回しますが、他にもいろいろな「悪女」やってます。
例えば、、、
旦那の義政が銀閣寺を作るためにチマチマ貯金しているのに富子は一円も金をくれないとか、
朝廷の御所の修理費をチョンボして人に貸し、利息を儲けるとか、
自分の子供が死産した事を、乳母のせいにして島流しにしてしまう、など。
やりたい放題。
また、個人金融で稼いだ70億円と言われています。
しかも、応仁の乱の敵味方関係なく金を貸して儲けていました。
いい根性してますね。
こういう女性を嫁さんに貰うと、あとが大変です。
「うるさい、女は引っ込んでろ」
なんて言おうものなら、10倍になって返って来ますから。
義政の苦労がしのばれます。
まとめ
将軍の跡継ぎ問題に端を発した応仁の乱。
それは、室町8代将軍の決断力の弱さをに露見しました。
そこへ有力家臣たちが付け入り、自分達のエゴを満たそうとします。
これが幕府はもちろん、日本中をかき乱します。
そして、行き着いた先は幕府の権力失墜と焼き爛れた京都の街。
応仁の乱とは失うものばかりの空しい戦でした
ところで
この戦を機に「それじゃあ今度は、もう少し建設的な国づくりをしていこう!」
って思ってもいいんですが、、、
それが思わないんですよ、室町の権力者達は。
それが「明応の政変」です。
このクーデターのおかげで幕府の権威はどん底まで落ち込みます。