九戸政実【誇り高き陸奥国の猛勇】最後は大反乱!

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九戸政実(くのへまさざね) 陸奥国の猛将

 

九戸政実とは陸奥国(むつのくに)の南部氏に属した有力な家臣。

武勇に優れた武将で戦闘能力はけっこうハイレベルです。

 

九戸って言うぐらいですから、現在の岩手県の人でしょうね。

 

さてこの九戸政実、武将としては有能なんですが

最期はちょっとかわいそうな終わり方をしています。

 

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九戸の乱

政実は人生の最後に「九戸政実の乱」という戦をやっていますが、豊臣軍を相手に戦い汚いだまし討ちを食らっています。

 

政実はろう城して負けそうな戦の終わりにこう言いました。

「自分は死んでも良いから、お城の中の人達だけは助けてください」と。

 

すると敵方もそれでOK、としました。

 

ところが、お城の門が開くと大量の軍勢が城の中になだれ込み、その後はもうメチャクチャ。

 

お城の人達をほぼ皆殺し。

「それはやらないで」って言ったのに!

 

武士たる者、いざとなれば自分の命を差し出すぐらいの覚悟は持っていますが、仲間や家族まで道連れにするのはちょっと、いやです。

 

九戸政実、きっと無念で仕方が無かったでしょう。

(家臣の中には敵の動きを警戒するように、アドバイスする人もいたのですが…)

 

 

 

秀吉が「天下」の時代

 

政実が乱を起こしたには1591年。

時は戦国時代の末期。

 

豊臣秀吉による全国統一も仕上げの段階でした。

 

惣無事令を発令して、戦を全国的に禁じます。

ことあればすぐにでも「反逆だ」「危険だ」と言っては目を付けて…容赦ない制圧を加えました。

 

九戸政実の乱もその一つでした。

 

ちょっと前までは、大名の内輪もめなんかそこいら中でやっていたのに。

この時ばかりは、政実の勇猛さがアダとなってしまったのです。

 

戦というより、武将達のイベント

 

ちなみに、九戸政実の乱に駆けつけた敵の兵の数は6万とも言われています。

そして、その顔ぶれがスゴいんです。

 

豊臣秀次を筆頭に徳川家康、蒲生氏郷、伊達政宗、最上義光、前田利家…書ききれない。

大スターたちの夢の競演です。

 

九戸政実が強いって言ったっての兵は5千しかいませんから、そんなにいらないでしょ。

他の一揆も片付ける用があったにしても、やりすぎですよ。

 

 

 

なぜ九戸政実の乱が起こったのか?

 

九戸政実は陸奥国、南部氏家臣でありまして、この南部家が跡継ぎ問題で大きく揺れます。

南部信直と九戸実親(さねちか、政実の弟)との間で家督を争ったのです。

 

結果的には「信直」の勝利で終わりました。

すると、実親派の人達は納得がいかないワケです。

 

そして、どんどん溝が深まり、ついに収まりが効かなくなって、兵を挙げます。

 

実親派が南部信直を攻撃します。

もちろん、実親の兄さんの政実も参加しています。

 

政実はもともと強い武将なんですが、これに奥州仕置きによって押さえつけられていた武士達の一揆行動が加わります。

 

政実 + 一揆衆。

 

そして、この反乱軍…メッチャ強い!

南部信直はこの乱を鎮めることがでできません。

 

そこで南部信直は、秀吉に救援を救援を求めたのでした。

 

すると、ものすごい数の兵が結集してきます。

そして、政実をコテンパンにやっつける。

 

…ここまでが『九戸政実の乱』までの道のり。

 

ところで、この乱は大変凄惨な戦になったそうで九戸城のまわりでは、今でも、鉄砲や玉人骨が発見されるようです。

 

戦の後、九戸政実と弟の実親…そして九戸の近親一族は処刑されました。

 

ただ、九戸家の子孫は名前を変え、南部家の重臣の職務を代々受け継いでいきました。

 

南部と九戸は政実の反乱で激しく対立はしましたが、少しはお互いに理解し合える部分も残っていたのかも知れません。

 

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